路線免許
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:48 UTC 版)
日比谷線の路線免許は、東京23区の前身にあたる東京市が戦前に計画した東京市営地下鉄6路線に遡(さかのぼ)り、大正14年内務省告示第56号に基づいて1925年(大正14年)5月16日に取得したものである。このうち現在の日比谷線にあたるのは、当時の第2号線目黒駅 - 西久保 - 祝田町 - 本石町 - 浅草橋 - 田原町 - 南千住間16.1 kmの路線免許である。東京市は市営地下鉄建設の第1期計画として、第3号線渋谷 - 巣鴨間 と第5号線池袋 - 洲崎間の建設に着工しようとするが、東京市には多額の公債があり、財政悪化を懸念した当時の内務省と大蔵省の反対があり、許可を得ることができなかった。その後、特に建設計画は立てられず帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が設立され、東京市が所有していたすべての路線免許は1941年(昭和16年)に営団地下鉄へ有償譲渡された。 終戦後、戦災復興院によって「東京都市計画高速鉄道網」の改訂が行われ、1946年(昭和21年)12月7日に戦災復興院告示第252号によって都市計画第2号線は以下のように告示・改訂した。この変更に伴い、営団地下鉄は免許済路線を告示第252号に合致させるため、1949年(昭和24年)4月28日に起業目論見変更認可を申請し、同年5月23日に認可を受けた。 祐天寺駅 - 恵比寿駅 - 愛宕町 - 虎ノ門 - 永田町 - 九段上 - 神田駅 - 浅草橋駅 - 田原町 - 三ノ輪町 - 北千住駅および分岐線として浅草橋駅 - 錦糸町駅に至る23.8 kmの路線。 その後、都市交通審議会答申第1号に基づいて、1957年(昭和32年)6月17日に告示された建設省告示第835号により、都市計画第2号線は経由地を皇居の西側を通る前述のルートから、皇居の東側を通る現在の日比谷線北千住 - 中目黒のルートに改訂され、分岐線は廃止された。 これを受け、営団地下鉄は1957年(昭和32年)6月18日に第2号線(日比谷線)の起業目論見変更認可申請と地方鉄道敷設免許の申請を行った。起業目論見変更認可申請は、1949年(昭和24年)5月に起業目論見変更認可を受けていた免許経路のうち、恵比寿 - 南千住間の経路を1957年(昭和32年)に改訂した経路に改めるものと、軌間を1,435 mm(標準軌)から直通運転に対応した1,067 mm(狭軌)に変更する申請である。これは1957年(昭和32年)8月13日に認可された。 前記に含まれない(取得をしていない)恵比寿 - 中目黒間および南千住 - 北千住間の路線免許は、運輸大臣に免許申請を行い、1958年(昭和33年)3月1日に路線免許を取得した(すなわち、現在の日比谷線北千住 - 中目黒間全線の路線免許を取得)。 1972年(昭和47年)3月1日の都市交通審議会答申第15号では終点が松原団地に改められ、北千住以北は東武伊勢崎線を複々線化することとされた。その後、1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号では竹ノ塚駅 - 北越谷駅間の東武線複々線化が示されている。
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