ていとこうそくどこうつう‐えいだん〔テイトカウソクドカウツウ‐〕【帝都高速度交通営団】
帝都高速度交通営団
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帝都高速度交通営団(ていとこうそくどこうつうえいだん、英: Teito Rapid Transit Authority)は、東京都特別区(23区)の地下鉄を経営するため、1941年(昭和16年)から2004年(平成16年)まで日本に存在していた日本国政府および東京都が出資する鉄道事業者。略名は営団地下鉄、交通営団、営団(英語圏ではT.R.T.A)。
注釈
- ^ 日本第3077244号、第3098355号、第3102904号
- ^ 日本第4796893号、第4796894号 権利者:東京地下鉄株式会社
- ^ 「地下鉄ストア」の名称で営業していた小売業。現在の「メトロピア」に繋がる。
- ^ 高田馬場 - 洲崎間は、現在の東西線とほとんど同じルートである。洲崎は現在の江東区東陽二丁目。
- ^ 2023年現在。
- ^ 駅入口の駅名看板は、南北線後楽園駅の出入口の一部では白地に青文字のものであったなどの例外もあった
- ^ 1980年代以降になると直通運転を行う国鉄・私鉄から冷房を搭載した車両が乗り入れるようになったが、地下鉄内では冷房スイッチを切って運行していた。
- ^ 但し、1980年代以降の新造車の一部は将来の車両冷房搭載を前提とした「冷房準備車」として落成していた。
出典
- ^ 鉄道省→運輸通信省→運輸省→国土交通省
- ^ 帝都高速度交通営団法第一条
- ^ 鈴木清秀『交通調整の実際』交通経済社、1954年1月。
- ^ a b 枝久保達也 (2021年8月2日). “帝都高速度交通営団」設立80年、戦争に翻弄された歴史とは”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2023年3月11日閲覧。
- ^ 鉄道ジャーナル 2003年3月号 (No.437) P.103 東京地下鉄株式会社 (RJ ESSENTIAL)
- ^ 鉄道ジャーナル 2004年7月号 (No.453) P.59 東京の地下鉄と一元化論
- ^ a b c d 東京地下鉄道丸ノ内線建設史(上巻)、pp.75 - 77。
- ^ 「鉄道ダイヤ情報」2002年2月号 P.33
- ^ “【お知らせ】東京メトロ施設内での写真撮影が解禁になりました”. 鉄道フォーラム (2012年4月18日). 2020年12月5日閲覧。
- ^ メトロカードなど。画像:「メトロカード」等の使用終了と残額の払い戻しについて 東京地下鉄 2014年12月15日発表
- ^ 沿革
- ^ 日本共産党地下鉄委員会
- ^ a b c 東京地下鉄道荻窪線建設史、p.51。
- ^ a b c d e f g 東京地下鉄道丸ノ内線建設史(上巻)、pp.82 - 84。
- ^ a b c d e f g h 東京地下鉄道丸ノ内線建設史(上巻)、pp.84 - 86。
- ^ 『鉄道ジャーナル』第30巻第08号、鉄道ジャーナル社、1996年8月、91頁。
- ^ “営団地下鉄の総合指令所 4指令の一元化実現”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 4. (1996年10月22日)
- ^ “帝都高速度交通営団 総裁に寺嶋氏 きょう発令”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1996年7月15日)
- ^ a b c d e f 赤瀬達三『駅をデザインする』ちくま新書、2015年
- ^ 日本サインデザイン協会 第7回日本サインデザイン賞 銀賞(1973年)
- ^ 『横浜市高速鉄道建設史』 横浜市交通局、1987年12月、283ページ
- ^ 赤瀬達三『サインシステム計画学』 鹿島出版会、2013年9月、ISBN 978-4-306-07303-6、55-61ページ
- ^ a b c d 藤岡長世 公共交通のサイン計画――営団地下鉄のサイン計画を通じて―― 公益財団法人国際交通安全学会 2015年4月13日閲覧
- ^ 「「東京メトロにおける冷房化の歴史」編 (PDF) 」- 東京メトロニュースレター2017年8月(第69号)。
- ^ 「地下鉄における空気調和設備 (PDF) 」 - 日立製作所『日立評論』1977年6月号。
- ^ 東京メトロにおける冷房化の歴史 東京メトロニュースレター 2017年8月
- ^ “アルゼンチン共和国ブエノスアイレスで活躍した丸ノ内線旧500形車両が約20年ぶりに東京に里帰りします! - 東京メトロ プレスリリース(7月20日)”. 2016年9月3日閲覧。
- ^ 東京メトロ03系が北館林まで廃車回送される 鉄道ファン(交友社) 2017年2月3日
- ^ 【東京地下鉄】06系、新木場へ - 鉄道ホビダス RMニュース、2015年8月13日
- ^ 東京メトロ06系の解体が始まる - 交友社「鉄道ファン」 railf.jp鉄道ニュース 2015年9月25日
- ^ 「暴走地下鉄を”放置” 2日間折り返せず 営団新宿駅構内」 朝日新聞1990年(平成2年)6月8日朝刊
帝都高速度交通営団
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「東京メトロ銀座線」の記事における「帝都高速度交通営団」の解説
1941年(昭和16年)9月1日:帝都高速度交通営団発足。東京地下鉄道、東京高速鉄道から路線譲受 (14.3 km)。 12月1日:全列車を2両もしくは3両編成の運行とし、単車運転を終了。 1942年(昭和17年)12月31日:全列車を3両編成での運行に統一。 1944年(昭和19年)4月1日:休日ダイヤを初めて導入。 10月10日:新橋駅旧本線を使用し、夕方ラッシュ時(17時 - 19時30分)に虎ノ門 - 渋谷間ノンストップの急行列車を3往復運転(B線は回送扱い)、年末まで継続。 1945年(昭和20年)1月27日:連合国軍機の空襲の被害を受け一部区間運休(3月10日に全線復旧)。 10月10日:虎ノ門 - 渋谷間ノンストップ電車運転(同年12月31日まで)。 1953年(昭和28年)12月1日:路線名称を銀座線と決定。 1955年(昭和30年)5月1日:一部列車で4両編成での運行を開始。ただし、当初は旧・東京高速鉄道の駅である神宮前・外苑前・青山一丁目・虎ノ門の各駅ホーム有効長が3両分しかなかったため、当該駅では浅草方1両を締切扱いとした。添乗車掌の乗務開始。 1956年(昭和31年)10月1日:一部列車で5両編成での運行を開始。旧・東京高速鉄道の駅では2両を締切扱いとした。 1957年(昭和32年)7月1日:締切運転を解消。添乗車掌廃止。 7月13日:全駅5両編成の客扱いを開始。 1960年(昭和35年)11月28日:朝ラッシュ時に一部列車で6両編成の運転を開始。 1963年(昭和38年)9月5日:京橋駅で車内に仕掛けられた時限爆弾が爆発し、乗客10名が負傷(草加次郎事件の一つ)。 1966年(昭和41年)1月6日:全列車を6両編成で運転開始。 9月19日:誘導無線 (IR) の使用を開始。 1968年(昭和43年)4月10日:都市交通審議会答申第10号にて、東京3号線は渋谷方面より赤坂見附、新橋、神田、上野及び浅草の各方面を経て三ノ輪方面に至る路線として提示。 5月 - 7月:開業以来使用してきた旧形車両60両を廃車。 1972年(昭和47年)10月20日:神宮前駅を表参道駅に改称。 1978年(昭和53年)8月1日:表参道駅を外苑前駅側に約180 m移設。 1984年(昭和59年)1月1日:01系試作車営業運転開始。 11月30日:01系量産車営業運転開始。 1985年(昭和60年)7月11日:運輸政策審議会答申第7号にて、浅草 - 三ノ輪間の延伸計画を削除。 1986年(昭和61年)10月9日:旧性能車(吊りかけ駆動方式)を含んだ最後の編成(1572号 + 1244号)が運用から外される。 1990年(平成2年)8月13日:冷房車両の運転を開始。 1993年(平成5年)7月30日:2000形・1500N形車両の営業運転を終了。 7月31日:保安装置を新CS-ATC化、および定位置停止装置 (TASC) 導入。すべての車両を01系に統一。 8月2日:ATC化に対応した全面的なダイヤ改正を実施し、運転最高速度を55 km/hから65 km/hに引き上げ。浅草 - 渋谷間の所要時間を4分短縮。 1995年(平成7年)3月20日:地下鉄サリン事件に関連し午前中の運転を休止、午後から再開。 3月27日:列車運行管理システム (PTC) を導入。 1997年(平成9年)9月30日:溜池山王駅開業(虎ノ門 - 赤坂見附間)。 2000年(平成12年)12月12日:上野広小路駅と日比谷線仲御徒町駅との連絡業務を開始。 2002年(平成14年)8月25日:新橋駅構内線路リフレッシュ工事のため、始発から8時50分まで銀座 - 溜池山王間で運休。
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