運転開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 05:29 UTC 版)
会社が成立したものの、翌1907年(明治40年)に日露戦争後の反動不況が発生してしまい、1908年(明治41年)まで約1年の事業中断を余儀なくされた。1908年1月7日に起工式を挙行するも、着工後も難工事が続き、ことに水路隧道工事が困難を極め発電所の完成をさらに遅らせる結果となった。開業の遅れや工事費の肥大化に名古屋電力が苦悩するのを見て、名古屋における既存電気事業者である名古屋電灯は名古屋電力の合併に動き出し、1910年(明治43年)10月に名古屋電力を吸収した。合併の結果、八百津発電所の建設は名古屋電灯に引き継がれた。 翌1911年(明治44年)6月、発電所の水路工事が竣工した。これを受けて仮通水を始めるが、水路の一部が崩落する事故が発生する。水路の修理は同年10月に完了し、通水を再開すると今度は無事に通水できた。次いで電気工事も竣工したため、11月5日から逓信省による検査が始まった。ところが14日、検査中の2号水車のケーシングが破裂する事故が発生し、検査にあたっていた逓信省技師と発電所作業員の2名が即死するという事故が発生した。事故の調査報告によると、ケーシング破裂は水撃作用(ウォーターハンマー)が直接の原因で、ケーシングの強度に欠陥があったことが由来とみられるという。 排水後、水車・発電機2台分について検査を続行、11月30日に逓信省の仮使用認可を得た。そして名古屋市内配電用変電所の完成を待って翌12月10日送電開始に漕ぎつけた。その後事故水車の修理と未完成の水車・発電機1台も完成し、1912年(明治45年)7月までに全設備の使用が開始されている。なお発電所の名称は当初「木曽川発電所」であったが、1917年(大正6年)6月1日より「八百津発電所」となった。 完成した八百津発電所の出力は7,500キロワットで、その発生電力は66キロボルト送電線にて名古屋市郊外萩野村(現・名古屋市北区)の萩野変電所へと送電された。この八百津変電所は、長良川発電所(出力4,200キロワット)とともに名古屋電灯時代は主力発電所として重きをなした。
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