運転開始と拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 01:39 UTC 版)
名島火力発電所は1万キロワット発電機2台で運転するものとされ、まず1920年(大正9年)3月に片方の発電機の据付が終了し、4月2日より送電を開始した。もう片方の発電機の設置も同年6月29日より運転を開始している。発電機および蒸気タービンは米国ゼネラル・エレクトリック (GE) 製。こうして完成した名島火力発電所の出力は2万キロワットであり、同発電所運転開始前の九州電灯鉄道の総発電力(1万8千キロワット)を単独で越える大規模な発電所であった。こうした大規模発電所の設置は同社常務松永安左エ門が計画したという。発電所からは近隣の変電所へ送電線が伸びたほか、川上川第一発電所を経て佐賀・大川方面や佐世保・長崎方面へ至る基幹送電線の起点となった。 九州電灯鉄道は1922年(大正11年)に名古屋市の関西電気(旧・名古屋電灯)と合併し、東邦電力となった。東邦電力に引き継がれた時点で名島火力発電所は、水力発電では不足する供給力を補給する発電所として利用されていた。出力は2万キロワットであったものの、ボイラー出力の関係上実際には1万7,500キロワットに留まっていたことから、1924年(大正13年)1月になってボイラーが2台増設された。さらにその後の需要増加で渇水期の供給力不足が懸念されたため、2万キロワットの拡張計画が立てられ、1925年(大正14年)8月に2万キロワット発電機1台(米国ウェスティングハウス・エレクトリック (WEC) 製)などが増設されている。この後も需要増加対策として大拡張計画が立てられたものの、1931年(昭和6年)に大淀川発電所(宮崎県)などから受電する契約を東邦電力が締結したためこの計画は中止となった。 1937年(昭和12年)8月になり、長崎・佐世保方面の重工業発達などに伴う需要急増への対策として東邦電力は相浦発電所(長崎県)の新設許可を得たが、その完成までの需要増加は想定を超えるペースであり、供給力不足に陥った。このため、中部電力(愛知県)が補給火力発電所増設を目的に発注したものの東邦電力との合併で増設が中止となり用途がなくなっていた機械を転用し、急遽名島発電所を増設することとなった。同年12月に増設工事は始められ、1938年(昭和13年)11月29日に完成、冬の渇水期対策に活用された。このとき増設された設備は1万キロワット発電機などである。 東邦電力時代の名島火力発電所は、火力発電技術の研究所としての役割もあり、様々な新技術がこの発電所で試験・試用され、同社の発電所新増設に活かされた。
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