東邦電力時代とは? わかりやすく解説

東邦電力時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 16:41 UTC 版)

竹岡陽一」の記事における「東邦電力時代」の解説

1921年大正10年12月九州電灯鉄道役員のうち伊丹松永は、福澤桃介経営していた名古屋市電力会社関西電気旧・名古屋電灯)の役員にも就任しそれぞれ社長・副社長となった。翌1922年大正11年5月、この関西電気九州電灯鉄道合併成立6月関西電気社名変更したことで、資本金1億円超の大手電力会社東邦電力株式会社発足した社名変更同時に役員増員が行われており、九州電灯鉄道から田中徳次郎専務取締役竹岡桜木亮三常務取締役追加されている。東邦電力では常務経理部長を務める。 1929年昭和4年12月職制変更庶務部・経理部統合され総務部となると竹岡総務部長就任1937年昭和12年4月合同電気合併に伴う職制改革では経理部長兼調査部長に回った同年11月常務から専務取締役昇格する。さらに1939年昭和14年5月専務副社長となり、社長松永安左エ門同じく専務副社長海東要造とともに代表取締役選出された。 1940年昭和15年11月13日竹岡東邦電力第3社長に就任した当時強化されつつあった電力国家管理政策対し反対意見貫いていた松永1928年昭和3年以来その任にあった社長退任会長退いたことに伴うものである。しかし社長就任半年後の1941年昭和16年5月先に決定していた第2次電力国家管理1939年第1次国家管理続き全国の主要電力設備国策会社日本発送電出資させる)に続いて配電事業国策配電会社統合するという方針打ち出される。1942年昭和17年4月1日、これらの実行とともに東邦電力解散し最後まで社長務めた竹岡解散後の代表清算人となった。また1941年5月から務めていた日本発送電監事からも4月7日退いた

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