合同電気・東邦電力時代
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1928年に19年間の逓信官僚生活から退いてからは実業界に転ずる。太田光熈の懇望により三重合同電気(後の合同電気)に入社し、取締役兼支配人に就任した(取締役就任は6月27日付)。同社は太田が社長を務める電力会社で、当時は三重県や徳島県を中心に供給していた。 1930年(昭和5年)5月、合同電気は東邦電力から四日市・奈良両支店、京阪電気鉄道から和歌山支店を引き継ぎ、資本金を約2倍として資本金7200万円余りの有力な電力会社となった。同年、清水は常務取締役に昇格する。支配人には東邦電力から転じた市川春吉が就いた。 1937年(昭和12年)3月、合同電気は大手電力会社の東邦電力に合併された。合併後の4月、清水は東邦電力総務部長に就任し、5月末の株主総会で取締役に選出された。同社では社長の松永安左エ門の信任を受けて累進を重ね、同年6月常務取締役に進み、1939年(昭和14年)6月には総務部長から営業部長に異動、1941年(昭和16年)9月には常務から副社長へと昇格した。 だが翌1942年(昭和17年)4月、東邦電力は電力国家管理政策および配電統制のため日本発送電や国策配電会社へと設備を出資して解散した。
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