合名会社山中商会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:26 UTC 版)
1900年(明治33年)2月東区北浜二丁目に合名会社山中商会を設立し、社長には吉郎兵衛が就任した、同年、アメリカに需要の乏しい陶磁器類の販路を拓くため、ロンドンに山中六三郎、富田熊作、岡田友次を派遣し、ニュー・ボンド・ストリート(英語版)に開店した。1919年(大正8年)12月1日ジョージ5世、1920年(大正9年)2月10日メアリー王妃よりロイヤル・ワラント(英語版)を受けた。 1904年(明治37年)上福島二丁目に村上九郎作を工場長とする輸出向け工芸品製作工場を新設したが、1909年(明治42年)7月20日大火で焼失し、廃止された。また、1905年(明治38年)7月高麗橋一丁目機械類輸入の山中輸入合資会社を設立したが、これも長くは存続していない。 なお、この頃日本では古社寺保存法等の整備によって美術品の仕入が難しくなった一方、中国では義和団事件等の動乱によって美術品が大量に売り出され、1908年頃から取扱品は中国美術品にシフトしていった。1912年(大正元年)3月頃には恭親王の所蔵品を丸ごと買い取ってニューヨークとロンドンで売り捌き、名声を高めた。1917年(大正6年)出張所とした粛親王家旧邸には、本社から人が来た際には、毎朝屋敷前の広場に200人のバイヤーが押しかけたという。
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