福博電車・九州鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
「福博電気軌道」および「九州鉄道 (2代)」も参照 東邦電力は成立当初から1934年(昭和9年)にかけて、九州にて直営の軌道事業を兼営した。路線は福岡市内の路面電車線(後の西鉄福岡市内線=1979年全廃)と、佐賀県唐津地方を走る「唐津軌道」と呼ばれる非電化軌道線の2つがあり、双方とも九州電灯鉄道から引き継いだ。前者の路面電車線は旧福博電気軌道由来の路線にあたる。路線網は前身会社時代にほぼ完成しており、東邦電力時代の路線延伸は、同じく福岡市内で路面電車線を経営する九州水力電気系の博多電気軌道から路線の一部を譲り受け、1932年(昭和7年)3月に西へ延長した1件のみに留まる。1930年11月28日、唐津軌道は路線バスの台頭と施設老朽化のため廃線とした。一方、福岡市内の路面電車線は博多電気軌道と経営を一元化することとなり、1934年11月1日付で新設の福博電車株式会社へと移管している。 九州にはこの福博電車の他に、九州鉄道株式会社という関係会社も存在した。同社は「筑紫電気軌道」の名で1915年(大正4年)、当時の九州電灯鉄道経営陣らによって設立。1922年3月の増資の際に東邦電力(関西電気)が株式を直接引き受けた。同社が建設した路線は現在の西鉄天神大牟田線にあたり、1924年(大正13年)、福岡から久留米までの区間が開業、以後順次南進し1938年(昭和13年)に大牟田まで到達した。また九州鉄道は旧三井電気軌道から引き継いだ電気供給事業も兼営した。 1940年(昭和15年)12月、東邦電力は九州での交通事業統合を目指す九州電気軌道に対して九州鉄道の株式6万株、福博電車の株式4万株を譲渡した。この結果、両社は東邦電力の傘下を離れた。2年後の1942年9月、九州電気軌道は九州鉄道・福博電車ほか2社を合併し、西日本鉄道(西鉄)となっている。 なお福博電車新設後の1937年に合同電気を合併したことで、東邦電力は三重県宇治山田(伊勢)地区の「参宮二見線」「朝熊山線」と和歌山市の「和歌山線」という3路線を継承し、兼営の鉄軌道事業を復活させた。ただし東邦電力による経営は一時的であり、三重県下の2路線は1939年8月に神都交通(現・三重交通)へ、和歌山線は翌1940年11月に和歌山電気軌道へと移管されている(詳細は合同電気#電気鉄道・軌道事業を参照)。
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