九州鉄道
九州鉄道
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九州鉄道は門司駅(現在の門司港駅)から八代駅・三角駅・長崎駅、小倉駅から分かれて行橋駅へ向かう路線の敷設(のちの鹿児島本線、三角線、長崎本線、佐世保線、大村線、日豊本線)を目指して建設された。建設に際して国からの援助は山陽鉄道と同等だった。ドイツ人のルムシュッテルの指導の下、ドイツより輸入した車両を使って1891年までに門司駅 - 熊本駅間、鳥栖駅 - 佐賀駅間が完成。筑豊炭田の石炭輸送により、1899年からは貨物収入が旅客収入を上回った。その後安定した経営状態が続いたので、1907年の鉄道国有化には賛成しなかった。
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九州鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/28 14:30 UTC 版)
「国鉄5700形蒸気機関車」の記事における「九州鉄道」の解説
九州鉄道へは、1897年から3年度にわたって計36両が導入された。その詳細は次のとおりである。 1897年(12両) : 55 - 66(製造番号4572 - 4583) 1898年(12両) : 116 - 127(製造番号4764 - 4775) 1899年(12両) : 142 - 153(製造番号5025 - 5036) 九州鉄道では、1897年製の12両を55形、1898年および1899年製の24両を116形と称したが、これは炭水車の台車が3軸固定であったか、片ボギー式であったかの差である。1909年の改番の際には、5700形(5709 - 5744)となった。これらは、最後まで九州を離れることはなかった。
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九州鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 08:46 UTC 版)
現在の鹿児島本線・長崎本線などに当たる路線を運営していた九州鉄道は、鉄道国有法に基づき同社が国有化される直前の1906年(明治39年)5月10日に、門司駅 - 八代駅・長崎駅へ「最大急行」と称する速達列車を設定した。山陽鉄道のそれと同様、特別料金は不要であった。
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