東邦電力発足後とは? わかりやすく解説

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東邦電力発足後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 13:51 UTC 版)

角田正喬」の記事における「東邦電力発足後」の解説

1921年大正10年10月名古屋電灯奈良県電力会社関西水力電気合併された。ただし実質的に名古屋電灯による関西水力電気合併であり、関西水力電気改め関西電気経営陣名古屋電灯から社長福澤桃介副社長下出民義常務角田神谷らがそのまま入った同年11月角田欧米各国電気事業視察出発、翌1922年大正11年5月帰国するこの間1921年12月関西電気では社長福澤副社長下出らが辞任九州電灯鉄道から伊丹弥太郎社長松永安左エ門副社長として入ったさらには九州電灯鉄道との合併成立し1922年6月資本金1億円超の電力会社東邦電力発足をみた。角田は東邦電力発足後も引き続き常務取締役在任し7月1日より電気事業調査研究にあたる社内組織調査部」の部長就いた東邦電力関連では、同社東京進出目指し傘下収めた早川電力取締役1924年大正13年3月就任し同年6月より常務務める。翌1925年大正14年3月早川電力群馬電力合併し新発足した東京電力では取締役選ばれた(常務には就任せず)。東京電力東京周辺にて東京電灯激しい「電力戦」を展開したのち、1928年昭和3年4月同社合併された。 東邦電力では1927年昭和2年5月職制変更により常務庶務部長異動となる。2年半後の1929年昭和4年11月常務取締役辞任し監査役転ずる以後1936年昭和11年11月辞任するまで監査役在任した。また東邦電力以外でも、1928年11月木曽川電力(旧・電気製鋼所取締役を、1929年12月大同電力取締役それぞれ退任している。 東邦電力監査役在任中の1934年昭和9年)、満洲哈爾浜ハルビン)でのセメント工場建設計画参加し哈爾濱セメント創立委員長挙げられる同年8月会社発足する社長に就任した。また1937年昭和12年1月には東邦電力出資する電力会社九州送電監査役就任し1942年昭和17年1月会社解散まで務めた1943年時点の『人事興信録』では、角田遠州機械大井川鐵道両社取締役務めるとある(哈爾浜セメントからは退任済み)。その後経歴不明

※この「東邦電力発足後」の解説は、「角田正喬」の解説の一部です。
「東邦電力発足後」を含む「角田正喬」の記事については、「角田正喬」の概要を参照ください。

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