九州電灯鉄道との合併
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「長崎電気瓦斯」の記事における「九州電灯鉄道との合併」の解説
長崎電気瓦斯発足の前年にあたる1913年8月、福澤桃介・松永安左エ門らが経営する日本瓦斯の傘下にあった九州・中国地方のガス会社10社が合併し、西部合同瓦斯(西部ガスの前身にあたる)が発足した。長崎県では佐世保市の佐世保瓦斯が合併に加わったが、太田清蔵率いる長崎の九州瓦斯はこれに参加せず、長崎電灯との合併へ進んだ。他方で、福澤・松永らがかかわる企業には電力会社の九州電灯鉄道もあった。同社は1912年(明治45年)6月に、福岡市の博多電灯軌道(旧・博多電灯)と佐賀市の九州電気が合併し成立。1913年には佐世保市の佐世保電気や大村・諫早地方に供給する大諫電灯を合併し、これも長崎県進出を果たしていた。同社の社長は佐賀出身の実業家伊丹弥太郎である。 九州電灯鉄道は佐賀県にて川上川第一発電所(出力6,600キロワット、1913年着工・1917年竣工)を建設するにあたり、発生電力の販路として三菱長崎造船所と長崎電気瓦斯に着目。予備電源として1915年8月に火力発電所(長崎発電所、出力1,000キロワット)を長崎電気瓦斯稲佐発電所構内に新設した上で、同年11月に長崎送電線を完成させ30日より長崎電気軌道に対する送電を始めた。長崎電気瓦斯の側としては、需要の増加によって旧式化した第一発電所に代わる電源が必要であったこともあり、九州電灯鉄道から1,000キロワットを受電することとなった。 長崎電気瓦斯で支配人を務めた桜木亮三によると、九州電灯鉄道の長崎送電線が建設されたことが独立を保っていた長崎電気瓦斯が同社に合併される決定的な要因となったという。合併交渉の末に1916年(大正5年)1月15日九州電灯鉄道との間に合併契約を締結。両社は3月11日の株主総会にて合併を承認した。その合併条件は、解散する長崎電気瓦斯の株主に対して同社額面50円払込済み株式1株につき存続会社の九州電灯鉄道株式0.85株を割り当てる、というものであった。合併は福岡県の久留米電灯、山口県の馬関電灯とまとめて実施されており、同年5月4日に九州電灯鉄道にて3社に関する合併報告総会が開かれて合併手続きが完了、長崎電気瓦斯は解散した。 合併後、長崎市には九州電灯鉄道の長崎支店が設置された。さらに1922年(大正11年)6月に九州電灯鉄道が中京地方の関西電気(旧・名古屋電灯)と合併し東邦電力が発足すると、以後東邦電力長崎支店が置かれた。
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九州電灯鉄道との合併
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1912年12月、松永安左エ門が馬関電灯の監査役に就任し、1913年には取締役となった。松永は当時、福岡市に本社を置く九州の電力会社九州電灯鉄道の常務であった。翌1914年(大正3年)には、創業以来社長であった松尾寅三が死去したため後任社長に宝辺岩次郎(下関の石炭商)が就き、松永の義兄竹岡陽一が専務取締役に就任した。 こうして人的な結合が生じた九州電灯鉄道と馬関電灯は、松永安左エ門の提唱で合併することとなった。この九州電灯鉄道は1912年に福岡の博多電灯軌道と佐賀県の九州電気が合併して成立した電力会社であるが、供給区域の拡大に積極的で成立翌年から周辺事業者の統合を進めていた。同社と馬関電灯の供給区域は北九州を挟んで離れており、当時としては送電連系も不可能であったが、合併を主導した松永によると北九州はすでに九州水力電気と九州電気軌道の地盤で進出する余地がないためそれらを越えて下関への進出を図ったのだという。 1916年(大正5年)1月、九州電灯鉄道と馬関電灯は合併契約を締結。合併条件は、解散する馬関電灯の株主に対しその持株1株につき存続会社九州電灯鉄道の新株1.3株を交付するというものであった。合併は同年1月30日馬関電灯の、翌31日九州電灯鉄道の株主総会でそれぞれ可決。久留米電灯(福岡県)・長崎電気瓦斯(長崎県)と同時の合併であり、同年5月4日九州電灯鉄道にて3社に関する合併報告総会が開かれて合併手続きが完了、馬関電灯は解散した。 合併後の下関には九州電灯鉄道下関支店(後の東邦電力下関支店)が置かれた。その後、九州電灯鉄道が1918年(大正7年)に長府町の長府電灯を、1920年(大正9年)に彦島村の彦島電気をそれぞれ統合したことで、下関支店の供給区域は下関市のほか豊浦郡の大部分と厚狭郡の一部にも拡大している。しかし1933年(昭和8年)になって下関支店管内の事業は山口県(山口県電気局)に譲渡され、東邦電力の手を離れた。
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