第一発電所とは? わかりやすく解説

第一発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:51 UTC 版)

大淀川水力電気」の記事における「第一発電所」の解説

大淀川水力電気は、1919年電気化学工業建設着手していた大淀川第一発電所(出力1万5,000キロワット)の建設工事担当した1923年大正12年)の関東大震災芝浦製作所にて製作中発電機焼失するトラブルがあり工期伸び1925年大正14年12月22日になって竣工に至る。宮崎県での工場新設新潟県青海工場建設1921年設置)で余力なくなり断念されたため、発電所発生電力は翌1926年大正15年1月から大牟田工場送電された。 第一発電所の所在地北諸県郡高崎町(現・都城市地図)。主要機器としてウェルマン・シーバー・モルガン (Welman Sieber Morgan) 製縦軸フランシス水車3台(出力7,500馬力×3)、芝浦製作所交流発電機3台(容量6,000キロボルトアンペア×3)、富士電機変圧器備えた1925年5月宮崎県において水利権の獲得競っていた東邦電力九州水力電気住友財閥電気化学工業の4者出資によって共同開発会社九州送電設立された。電気化学工業では、この九州送電建設する送電線によって大淀川第一発電所の発生電力大牟田工場託送する予定であったが、県外送電反対運動への対応で会社設立遅延したことからこれ断念九州送電持ち株をすべて九州水力電気売却したその代わり電気化学工業の側で大淀川第一発電所から熊本県八代まで66キロボルト送電線架設八代から大牟田までは従来から大牟田工場電力供給していた熊本電気へと託送するという形の送電ルート構築した

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第一発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:48 UTC 版)

長崎電気瓦斯」の記事における「第一発電所」の解説

第一発電所(油屋町発電所とも)は長崎電灯創業時からの発電所である。当初長崎市外の浦上山里村馬込郷(後の長崎市御船蔵町にあったが、1896年明治39年)の増設とともに長崎市高野平(現・高平町)へ移転している。発電所主要設備以下の通りボイラー : 計6台 原動機米国85馬力蒸気機関1台 三吉工場100馬力蒸気機関1台 米国製200馬力蒸気機関1台 英国500馬力蒸気機関1台 発電機24キロボルトアンペア直流発電機1台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製) 35キロボルトアンペア単相交流発電機1台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製、周波数125ヘルツ60キロボルトアンペア単相交流発電機1台(三吉工場製、周波数125ヘルツ120キロボルトアンペア単相交流発電機1台(米国ゼネラル・エレクトリック製、周波数125ヘルツ300キロボルトアンペア単相交流発電機1台(芝浦製作所製、周波数60ヘルツ発電所出力 : 539キロワット 1893年4月開業当初発電機直流交流各1台ずつで出力59キロワット以後需要の増加に応じて1896年60キロワット1900年120キロワット1903年300キロワット増設繰り返され発電機5台・出力計539キロワット発電所となった。しかし相次いで無計画に増設されたことで種類周波数など発電機規格統一されておらず、総合運転が不可能という問題抱えていた。このため九州電灯鉄道からの受電開始される予備発電所とされ、九州電灯鉄道との合併後の1918年大正7年8月廃止された。

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第一発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:23 UTC 版)

名古屋電灯」の記事における「第一発電所」の解説

詳細は「電灯中央局」を参照 位置:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35104.0東経13653分57.5秒 / 北緯35.167778度 東経136.899306度 / 35.167778; 136.899306 (電灯中央局跡) 名古屋電灯最初発電所火力発電所の第一発電所である。愛知電灯合併して同社発電所第二発電所)を引き継ぐまでは社内唯一の電源で、その当時は「電灯中央局」と称した。場所は名古屋市南長島町入江町(現・中区栄二丁目)で、跡地には中部電力電気文化会館が建つ。 1889年明治22年12月開業した時点での電灯中央局設備は、米国ボイラー3台、米国蒸気機関2台、ドイツAEGエジソン直流発電機出力25kW)4台であり、直流250ボルトにて配電した。開業以来需要増加対応するため、1893年明治26年2月京都電灯から譲り受けた設備一式ボイラー蒸気機関各1台、三吉工場製25kWエジソン発電機2台)を増設。さらに翌1894年明治27年7月ボイラー蒸気機関各1台とAEG製25kW発電機2台を増設し1895年明治28年12月には再び同様の設備増設している。 こうして第一発電所は最大出力250kWの発電所となったが、後述水主町発電所において1904年明治37年6月第2期工事完成する発電休止したその後予備発電所として残され一部試験室として用いられたが、1911年明治44年9月27日試験室の失火原因全焼した

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第一発電所(廃止)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:58 UTC 版)

宮川電気」の記事における「第一発電所(廃止)」の解説

宮川電気伊勢電気鉄道)が1897年明治30年6月開業した際の火力発電所は、中部電力伊勢営業所伊勢市岩渕1丁目9-24)のある場所に建設された。逓信省資料では発電所名は「第一発電所」とある。 開業時設備構成100馬力ボイラー蒸気機関1組50キロワット発電機1台であったその後1898年明治31年3月同規模の設備一式増設1903年明治36年)には電車開業あわせて76馬力ボイラー100馬力蒸気機関70キロワット発電機直流発電機)各1台からなる電車専用設備新設している。次いで1910年明治43年7月には75キロワット発電機ならびに100キロワット発電機各1台も増設された。 逓信省資料によると1910年時点での設備は、ボイラー3缶、蒸気機関4台(計470馬力)、50キロワット単相交流発電機2台、75キロワット三相交流発電機1台、100キロワット単相交流発電機1台からなった。1915年大正4年になってこのうち75キロワット発電機1台が後述第二発電所移設された。第二発電所完成後は予備発電所となり、1917年大正6年4月廃止された。

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