国家管理・東京電力時代
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「石岡第二発電所」の記事における「国家管理・東京電力時代」の解説
日立電力による運営後、石岡第二発電所は関東配電株式会社の所有となった。1941年(昭和16年)9月6日、配電統制令により関東配電株式会社設立命令が発せられた。日立電力は「関東配電となるべき会社」に指定され、全資産をあげて関東配電に統合することとなった。1942年(昭和17年)3月30日に創立総会が開かれた後、4月1日に関東配電株式会社が設立された。 第二次世界大戦後には電気事業再編成が実施され、1951年(昭和26年)5月1日に東京電力株式会社が発足した。これにより石岡第二発電所は東京電力の所有となった。1958年(昭和33年)11月7日、石岡第二発電所は1,000キロワットから1,300キロワットまで出力が増加した。1967年(昭和42年)には発電周波数を60ヘルツから50ヘルツに変更する改修が行われた。
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国家管理・東京電力時代
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「石岡第一発電所」の記事における「国家管理・東京電力時代」の解説
日立電力による運営後、石岡第一発電所は電力国家管理に伴い関東配電株式会社の所有となった。1941年(昭和16年)9月6日、配電統制令により関東配電株式会社設立命令が発せられた。日立電力は「関東配電となるべき会社」に指定され、全資産をあげて関東配電に統合することとなった。1942年(昭和17年)3月30日に創立総会が開かれた後、4月1日に関東配電株式会社が設立された。 第二次世界大戦後には電気事業再編令が公布され、石岡第一発電所は東京電力の所有となった。東京電力に所有されていた間、石岡第一発電所は出力増加改修や周波数変更が行われた。1957年(昭和32年)5月18日には水圧鉄管が取り替えられ、出力が4,000キロワットから4,600キロワットまで増加した。1968年(昭和43年)11月3日には、鉄筋コンクリート製の逆サイフォン管が銅製の物に置き換えられ、出力が4,600キロワットから4,800キロワットまで増加した。また、石岡第一発電所ではそれまで交流60ヘルツが使用されてきたが、東京電力が茨城県内に残していた60ヘルツ地区を50ヘルツに切り替える方針を受けて、1961年(昭和36年)6月には50ヘルツ用発電所に改められた。しかし、なお残った60ヘルツ地域が電力不足に陥る度に、需要の波動調整用となる再改造を石岡第一発電所は受けた。
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