国家神道の形成と展開
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1871年(明治4年)、太政官布告234号の通達で、神社が「国家の宗祀」と定義された。これに基づいて、近世以前の神社や神道のあり方が大幅に変革され、神社を国家が管理する、いわゆる国家神道と呼ばれる体制が形成されていった。明治維新の当初は、平田派国学者が政府の中枢にあって祭政一致や神道国教化が図られたが、伊藤博文や岩倉具視らの開明派の政府要人は政教分離を志向するようになり、1870年(明治3年)に玉松操が岩倉と対立して政府を去ると、翌1871年(明治4年)に矢野玄道、権田直助、角田忠行、丸山作楽らの祭政一致派の神道家が二卿事件に連座する形で一斉に検挙され、追放された。そして、1875年(明治8年)には信教の自由が保証され、1882年(明治15年)の内務省通達によって神社は非宗教との定義を受け、祭政一致の神道に基づく政治を目指した当初の方針は転換、神道を宗教の埒外に置いて公的な性格を付与する神社非宗教論がとられることとなった。1890年(明治23年)制定の大日本帝国憲法にも、神道に関する語は一切出されなかった。「国家の宗祀」とされた神道は、「一家が占有すべきではない」との理由から神職の世襲制が廃止され、以後は官吏(公務員)に準じて国が神職を養成して補任を決定することとなった。神社は非宗教とされたため、官国幣社の神職は宗教的な活動が禁止され、神葬祭への関与や神道教義の布教といった活動も行うことができなくなった。このため、吉田神道や伊勢神道などの近世以前に存在した社家神道も一勢力としては消滅することとなった。1871年(明治4年)には境内地を除く神社と寺院の土地を全て収公する「社寺領上知令」も発布されている。 明治維新の発足とともに復興した神祇官は、1871年(明治4年)に太政官の一省である神祇省へと格下げされ、1872年(明治5年)には宗教行政一般を管轄する教部省へと神社行政が統合され、1877年(明治10年)には内務省の一部局に過ぎない神社局にまで格下げされ、さらに同年神社と寺院を統合して社寺局に編成された。教部省では神職と僧侶の合同によって愛国精神や尊皇精神を国民に教化する教導職という制度が導入されたが、神道側と仏教側の双方の反発により短期間で瓦解している。なお、教導職では愛国心や尊皇心などの教えを示した「三条教則」のみの布教が許され、神道や仏教の教えや教義を広げることは禁止された。教部省の瓦解後、神職などは神道事務局を設立して、活動を継続した。神道事務局を巡っては、その神殿に大国主神を加えるべきか否かで「祭神論争」という論争も生じた。なお、この神道事務局の生徒寮を独立させる形で1882年(明治15年)には皇典講究所が設立されている。1890年(明治23年)に皇典講究所に設置された教育機関の國學院は、のちに神道系大学の國學院大學に発展した。一方、神宮祭主の命で同じく1882年(明治15年)に神宮の林崎文庫内に設置された皇學館は、のちにもう一つの神道系大学である皇學館大学となった。 神社行政が社寺局に編成されると、府県社以下の神社はあくまで寺院と同じ一宗教であるとされ、1877年(明治10年)に神職身分が官吏ではないものとされ、1879年(明治12年)に公的な支出が打ち切られた(なお、神職への公費からの給与支払いは、すでに1873年(明治6年)に打ち切られている)。さらに官国幣社に関しても、身分は官吏のままとされたものの、1887年(明治20年)に官国幣社保存金制度が導入され、向こう10年間は公金を支出するが、それ以降は公費の支出を打ち切ることとされ、政教分離の原則に従い行政と神社の切り離しが行われた。 先述の通り1871年(明治4年)には「社寺上知令」が出て神社や寺院に経済的なダメージが与えられることとなったが、殊に神社に関しては、神社非宗教論により神葬祭などの宗教的活動による収益が禁じられ、さらには国家からの公費支出も打ち切られたため、葬式や宗教活動による収益が見込めた寺院以上に経済的なダメージを受けることとなり、神社は明治時代を通じて大変な経済的苦境の地位に置かれることとなった。 また明治時代に入ると、国事に殉じた人々を祀るための靖國神社や、南朝の楠木正成を祀る湊川神社、護良親王を祀る鎌倉宮、菊池武時を祀る菊池神社など、国家に功績のあった人物を神として祀る神社の創建も多く行われている。 他方、明治政府によって多数の神社合祀も行われた。これは、地方改良運動に合わせて行われたもので、地域に密着していた郷社や無格社を中心に整理が進み、神社の数は19万社から13万社程度へと減少した。これに対して、博物学者の南方熊楠や民俗学者の柳田國男らによって反対論も唱えられた。
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