林崎文庫とは? わかりやすく解説

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はやしざきぶんこ 【林崎文庫】


林崎文庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 16:41 UTC 版)

神宮文庫」の記事における「林崎文庫」の解説

豊宮崎文庫設立から40年後の貞享3年1686年)、内宮周辺自治行なっていた宇治会年寄(うじかいごうとしより)らが中心となり、内宮豊宮崎文庫同様の文庫設立する計画立てた山田奉行岡部駿河守勝重が江戸幕府から150両の下付を受け、翌貞享4年1687年)に五十鈴川西岸丸山現在の宇治今在家町内宮駐車場)に内宮文庫ないくうぶんこ)が設立された。しかし丸山は多湿文書の保管不適切判断され3年後元禄3年1690年)に丸山の北に隣接する林崎移転、林崎文庫と改称した。しかし林崎文庫は豊宮崎文庫違い経営主体整備せず幕府援助頼ったため、100年経たないうちに荒廃してしまう。 この状況嘆き立ち上がったのが国学者谷川士清娘婿で、内宮権禰宜兼副物忌父職を勤めていた蓬莱荒木田尚賢である。国学者賀茂真淵にも学才認められていた尚賢天明2年1782年)に書庫講堂塾舎などを整備江戸京都・大坂に献本取次所設けるなど尽力した古くから尚賢交友関係にあった本居宣長は『林崎ふみくらの詞』を著し林崎文庫の存在称揚するなどで協力京都古書販売営んでいた勤思堂の村井敬義は尚賢感銘し延宝9年1681年2月写の『一代要記』などの多くの貴重図書を含む2,602部を寄贈した最終的には林崎文庫の蔵書10,978冊を数えた

※この「林崎文庫」の解説は、「神宮文庫」の解説の一部です。
「林崎文庫」を含む「神宮文庫」の記事については、「神宮文庫」の概要を参照ください。

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