神宮文庫設立
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明治初頭から神宮周辺の整備を行っていた神苑会は、神宮司庁所蔵の図書などを保管するために宇治館町に神宮文庫(じんぐうぶんこ)設立を計画した。1906年(明治39年)に神宮文庫が竣工。1907年(明治40年)の設立時には外宮内宮両宮の蔵書14,447冊と旧林崎文庫の蔵書10,978冊のほか、新規に寄贈・購入分を合わせて書籍50,136冊・雑誌2,581冊であったが、その後も蔵書は増え続けた。旧豊宮崎文庫の蔵書が散逸することをおそれた神苑会は1910年(明治43年)に蔵書と什器のすべてを17,000円で購入したが、この購入での20,745冊で早くも神宮文庫の書庫は溢れてしまった。 神宮皇學館は1919年(大正8年)に外宮と内宮のほぼ中間にあたる倉田山へ移転。また、五十鈴川の氾濫により書庫が床上浸水の被害を受けていたこともあって、1922年(大正11年)12月に神宮文庫の管理が神宮司庁から神宮皇學館に移された事を期に、神宮文庫も倉田山へ移転することになった。新しい神宮文庫は1925年(大正14年)8月に完成、1926年(大正15年)1月に開館となったが、このときに蔵書は10万冊目前の99,800冊となっていた。 外宮西側の八日市場にあった福島御塩焼太夫(ふくしまみさきだゆう、徳川将軍家の祈祷師を務めた御師)邸の門(慶長年間作)が1935年(昭和10年)に倉田山へ移築され、神宮文庫の門に生まれ変わった。この門は黒門とも呼ばれ、『御師邸門』として1958年(昭和33年)12月22日に伊勢市の有形文化財に指定されている。
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