明治政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 15:08 UTC 版)
明治2年(1869年)1月東京に移り、集議院に出仕した。7月藩治職制改革のため帰藩した後、12月再び上京し、藩権大参事に就任した。明治3年(1870年)5月他の公議人と明治天皇に謁見し、9月藩制に係る任務のため帰藩した。明治4年(1871年)7月廃藩置県により上京し、11月長崎県設置により失職し、帰郷した。明治5年(1872年)3月長崎県九等出仕となったが、5月辞職した。 1873年(明治6年)1月長崎県第81大区(旧平戸城下)区長となり、郡中勧業掛・学区取締を兼ねた。8月第83大区で徴兵令反対一揆が起こると、権区長成田辰雄等と共に鎮撫に当たった。1874年(明治7年)2月佐賀の乱が起こると、県庁警備のため旧藩士卒を集めて2小隊を編成し、県庁に引き渡した。4月区長・兼務を辞任した。
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「明治政府」の例文・使い方・用例・文例
- 明治政府は徳川幕府の跡に立った
- 幕府瓦解して明治政府立つ
- 明治政府は人民を強制して兵役に服さしめた
- 幕府の倒れた跡に明治政府が立った
- 明治政府は幕府が倒れた跡に立った
- 明治政府の監督下に設立された金融機関
- 五箇条御誓文という,明治政府の基本方針
- 省札という,明治政府が発行した紙幣
- 明治政府が定めた国民の階級の別を表した呼称
- 太政官という,明治政府の官庁
- 明治政府による土地と租税の改革
- 明治政府の神仏分離政策のもとで起こった寺院,仏像の破壊運動
- 出版条例という,明治政府の定めた出版取締りのための法規
- 明治政府初期,神道に関する官庁
- それは,新たに発足した明治政府の国の基本方針を記載している。
- 書簡は大部分が明治政府初期の重要な政治家,岩倉具(とも)視(み)あてのものだ。
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