久原鉱業・日立電力時代
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「石岡第二発電所」の記事における「久原鉱業・日立電力時代」の解説
石岡第二発電所を運営する久原鉱業所は1912年(大正元年)9月に資本金1000万円の久原鉱業株式会社に改組した。久原鉱業は引き続き鉱業を主要な事業としたほか、電気事業も事業目的に加えた。久原鉱業は1918年(大正7年)8月に常磐炭田の入山炭鉱への電力供給を始めたのを皮切りに、常磐炭田の磐城炭鉱・好間炭鉱などにも電力供給を始めた。こうして久原鉱業は自家用発電から前進して電気供給事業を兼営することとなった。1927年(昭和2年)9月には久原鉱業の電気事業が分離され、資本金1000万円で日立電力株式会社が設立された。石岡第二発電所を始めとする、久原鉱業が所有していた発電所と電気設備は日立電力へと引き継がれた。
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久原鉱業・日立電力時代
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「石岡第一発電所」の記事における「久原鉱業・日立電力時代」の解説
1914年(大正3年)には大北川の支流が重力式コンクリートダムで堰き止められ、有効貯水容量4,645立方メートルの小山調整池(位置)が建設された。これにより、石岡第一発電所は時間単位のピーク負荷に対応しうる発電能力を備えるに至った。小山調整池からの放流水は大北川本流に合流し、自然流下しながら常磐炭鉱横川発電所の放流水を合わせ、石岡第一発電所の取水堰堤から取り入れられた。 石岡第一発電所を運営する久原鉱業所は1912年(大正元年)9月に資本金1000万円の久原鉱業株式会社に改組した。久原鉱業は引き続き鉱業を主要な事業としたほか、電気事業も事業目的に加えた。久原鉱業は1918年(大正7年)8月に常磐炭田の入山炭鉱への電力供給を始めたのを皮切りに、常磐炭田の磐城炭鉱・好間炭鉱などにも電力供給を始めた。こうして久原鉱業は自家用発電から前進して電気供給事業を兼営することとなり、石岡第一発電所の電力も一般供給に振り分けられるようになった。 1927年(昭和2年)9月には久原鉱業の電気事業が分離され、資本金1000万円で日立電力株式会社が設立された。石岡第一発電所を始めとする、久原鉱業が所有していた発電所と電気設備は日立電力へと引き継がれた。
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