久原邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:09 UTC 版)
1904年(明治37年)、本山村野寄に構えた邸宅は、現在の灘中学校・高等学校より北、国道2号を挟んだ北隣、敷地面積は3万坪と、甲子園球場の2倍半の広さ、敷地内には果樹園、病院、発電所等が建てられ、特に子供の為に小さな本物の機関車を走らせていたとか、六甲山の冷風を送るため、山から直通トンネルを掘ったとのエピソードも残っている。久原橋は久原が国鉄住吉駅まで通うのに便利なように自前で建てた物。 1915(大正4年)、渋沢喜作が売りに出した東京白金台の邸宅を久原が購入して自邸とし、後に八芳園となる。
※この「久原邸」の解説は、「久原房之助」の解説の一部です。
「久原邸」を含む「久原房之助」の記事については、「久原房之助」の概要を参照ください。
- 久原邸のページへのリンク