久原財閥の傘下にとは? わかりやすく解説

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久原財閥の傘下に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 16:33 UTC 版)

山陽電気」の記事における「久原財閥の傘下に」の解説

事業拡大最中にあたる1917年12月山陽電気への改称とともに成立したばかりの平賀敏らの新経営陣は、葛原猪平含め全員辞任した同年8月から山陽電気株式久原房之助久原家が買収しており、久原財閥の傘下に入ったことに伴う異動であった久原による買収山陽電気供給区域となった都濃郡下松町現・下市)での造船所建設計画日立製作所笠戸事業所起源)に関係するものとみられる社長に久原房之助推薦山口町八木宗十郎就任したものの、その他の役員は取締役小平浪平日立製作所所長)など久原係の人物で固められた。 久原傘下入った後も事業統合続き、まず1918年10月16日厚狭郡長門電灯から事業買収次いで1921年大正10年3月9日には阿武川水力電気合併した両社概要以下の通り長門電灯株式会社 1916年8月資本金10万円で設立され、翌1917年1月15日山陽電気からの受電55キロワット)によって開業した供給区域厚狭郡船木町(現・宇部市)や須恵村(現・山陽小野田市)などで、1917年時点電灯6672灯と若干電力供給していた。なお須恵村には小野田セメント製造(現・太平洋セメント)が立地するが、同社対す電力供給長門電灯ではなく山陽電気直接行った1917年8月時点300キロワット)。 阿武川水力電気株式会社 1919年11月資本金200万円設立翌年6月阿武川長門峡付近水力発電所着工しており、合併時はまだ建設中であった社長当時中国地方複数電気事業関与していた野口遵で、合併後山陽電気にも取締役として加わった。この合併と、1919年12月にあった増資により、山陽電気資本金700万円となっている。 相次ぐ事業統合により山陽電気供給区域拡大続け最終的に山口県中部吉敷郡阿武郡大津郡美祢郡厚狭郡都濃郡熊毛郡の7郡78町村へと広がった供給実績についても着実に伸長し1923年には約115000灯の電灯と約4,300キロワット電力供給するまでになった同年9月時点大口需要家には徳山海軍燃料廠(供給電力250キロワット)・大阪鉄板製造500キロワット)・日立製作所笠戸工場400キロワット)・小野田セメント製造350キロワット)などが名を連ねる一方電源には1923年大正12年4月出力2,840キロワット阿武川発電所加わり、総発電力は発電所4か所で5,680キロワットとなったそれ以外にも1920年大正9年10月より岩国電気(後の中外電気)からの1,200キロワット受電始めた

※この「久原財閥の傘下に」の解説は、「山陽電気」の解説の一部です。
「久原財閥の傘下に」を含む「山陽電気」の記事については、「山陽電気」の概要を参照ください。

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