須恵村とは? わかりやすく解説

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須恵村

読み方:スエムラ(suemura)

参照 あさぎり町(熊本県球磨郡)

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

須恵村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 22:53 UTC 版)

すえむら
須恵村
須恵村役場(2024年6月)
廃止日 2003年4月1日
廃止理由 新設合併
上村免田町岡原村須恵村深田村 → あさぎり町
現在の自治体 あさぎり町
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 熊本県
球磨郡
市町村コード 43508-2
面積 17.98 km2
総人口 1,471
国勢調査、2000年)
隣接自治体 免田町、深田村、相良村多良木町
須恵村役場
所在地 868-0451
熊本県球磨郡須恵村132番地
座標 北緯32度16分00秒 東経130度54分01秒 / 北緯32.26658度 東経130.90036度 / 32.26658; 130.90036座標: 北緯32度16分00秒 東経130度54分01秒 / 北緯32.26658度 東経130.90036度 / 32.26658; 130.90036
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須恵村(すえむら)は、かつて熊本県の南東部、球磨郡にあった。日本最初の「人類学者による農村調査」が行なわれた村としても知られる[1]

2003年4月1日、同郡内の上村免田町岡原村深田村新設合併し、あさぎり町となった。現在はあさぎり町須恵地区となっている。

小ねぎ生産が活発であった。

地理

熊本県の南東部、球磨郡の中央に位置した。北部は面積の7割を占める山地と一部が畑地帯となっている。南部は水田地帯となっている。

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により須恵村が発足。
  • 1935年 - 1936年 - アメリカ合衆国の文化人類学者ジョン・エンブリー (1908年 - 1950年, John Embree) が部落社会の構造を実地調査し、「Suye Mura: A Japanese Village」(Chicago,1939)をまとめる。同書は日本文化理解の教科書、ルース・ベネディクト著「菊と刀」(1946年)の参考文献として挙げられた[2]。エンブリーの妻エラ(日本育ちで、のちに再婚してウィズウェル姓[3])もロバート・J・スミス英語版と共著で『須恵村の女たち』を1984年に出版した[2]。須恵村が選ばれたのは柳田国男の助言による[3]
  • 1971年 - 『変貌する須恵村 社会文化変化の基礎的研究』(牛島盛光、ミネルヴァ書房)刊行。
  • 1988年 - 上述のエンブリー調査のその後を追跡調査した『写真民族誌 須恵村 1935-1985』 (牛島盛光、日本経済評論社)刊行。
  • 2003年平成15年)4月1日 - 上村、免田町、岡原村、深田村と合併し、あさぎり町となり消滅。

須恵村型

ジョン・エンブリーが調査した当時の須恵村は、一つの「村」、八つの「区」、十七の「部落」(集落)、多数の「組」で構成されていた[2]。エンブリーの研究は、行政体としての「村」と集落である「部落」を明確に区別していた点が当時の日本の民俗学農村社会学と比べて特異であった[2]。熊本県で最も小さかった須恵村は、エンブリーの研究によって日本の農村の典型として認知されるようになった[2]

地理学者水津一朗は、1957年に日本の集落(村落)を3つに類型化し、1つの大字が1つの集落に対応するものを「標準型」、基本的に1つの集落で1つの大字を構成するものの、内部に独立性の高い小集落を内包するものを「煙山村型」、そして1つの大字が複数の集落で構成されるものを「須恵村型」と呼んだ[4]。須恵村型は、中国地方の東部や南九州に多く見られる[5]

行政

平成の大合併

平成の大合併で深田村、免田町、岡原村、上村との合併計画は、当時所有林などの問題と高度経済成長も助けていたという理由もあったため、地方交付税と過疎対策事業の恩恵のためにそれぞれの村々は合併を急がなくてもやっていけたため計画はいったんは流れたが、2003年平成15年)4月1日、上にあげた5町村が対等合併し、あさぎり町となることになった。

教育

産業

かつては石炭産業が盛んであった。1939年(昭和14年)4月28日には、亀山炭鉱でガス爆発があり、作業員10人が死亡する事故も発生している[6]

交通

道路

出身有名人

脚注

  1. ^ ジョン・F. エンブリー John F. Embree 20世紀西洋人名事典
  2. ^ a b c d e 日本のむらの「協同」を見つめた人類学者”. 農文協の主張 (2021年10月). 2025年8月28日閲覧。
  3. ^ a b 桑山敬己「第2次世界大戦前後のアメリカ人研究者による日本村落の研究」(PDF)『民博通信』第139号、2012年12月、10-11頁。 
  4. ^ 辻本侑生「「農業集落」の多様性と複雑性─集落を捉える空間的視座の系譜と可能性─」『農村計画学会誌』第41巻第4号、農村計画学会、2023年3月、175-179頁、CRID 1050582154145474176 
  5. ^ 寺床幸雄『中山間地域における新しい集落類型の検討と地域支援への応用に関する地理学的研究』〈平成28年度 国土政策関係研究支援事業研究成果報告書〉2017年3月14日、1頁https://www.mlit.go.jp/common/001259762.pdf 
  6. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、54頁。 ISBN 9784816922749 

関連項目

外部リンク



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