富士電機
富士電機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:44 UTC 版)
古河市兵衛の時代から古河グループの事業展開に関係の深いドイツのシーメンスと協力して、電気機械器具の製造事業への進出計画が具体化したのは、第一次世界大戦後の日本における電力事業の拡大と工場用動力の電化の著しい進展があった1919年である。それは、ドイツと日本の双方で始まった。提携交渉は順調に始まったが、古河グループ側では古河商事の破綻と日本における恐慌の深刻化があり、シーメンス側もインフレーション克服のための対外投資の禁止策などの制約が生じ、交渉は一時、停滞した。その後、古河合名会社(現・古河機械金属)にかわり古河電気工業がシーメンスとの交渉当事者となり、両社の提携に対する熱意が高まる中で、1923年に富士電機製造(現・富士電機)が設立された。富士電機製造の「富士」とは、古河の頭文字「ふ」とシーメンス(Siemensのドイツ語読みはジーメンス)の頭文字「じ」に因んだものである。 新会社の業務開始日の1923年9月1日に関東大震災が発生したが、幸い東京の本社事務所は損傷なく、事業は東京シーメンス社から引き継がれた在庫品と受注残でつなぐことができた。しかし、川崎工場の建設は少し遅れ、ようやく1925年からシーメンスの技術指導を得て品質の安定した製品を市場に供給し始め、先行する芝浦製作所(現・東芝)、日立製作所、三菱電機に次ぐ重電機メーカーへの道を着実に進んでいった。 古河電工は、富士電機製造の設立の前からと横浜電線製造所内に電機製作所を設け電話機の製造を行なっていた。古河電工は富士電機製造に電機製作所を現物出資する予定であったが、設備の評価額でシーメンスと意見が折り合わず技術提携の対象から外れたが、関東大震災で電機製作所が焼失したため改めて電話機事業が提携契約の対象に入れられるという経緯があった。この時点で、富士電機製造は重電および弱電を持つ総合電機会社となった。弱電部門(電話機部門)は、1935年に富士通信機製造(現・富士通)の設立により同社へ移管されることになった(後述)。 その後、満州事変(1931年)から日中戦争(1937年)までの6年間の日本経済は、軍備拡大による軍需品の急速な需要の拡大があり、富士電機製造は急速な規模拡大と業績の向上が続き、事業の発展への大きな契機となった。第二次世界大戦中、シーメンスとの提携関係は途切れたが、戦後の1952年に技術提携を復活させ友好関係を維持し、その後の経済環境の変化にも対応し、家電部門からは撤退し、重電機器を中心に経営を発展させながら今日に至っている。シーメンスがかつて、ドイツ・グラモフォンの親会社だったことから、日本ポリドールにシーメンスともども出資していた。
※この「富士電機」の解説は、「古河グループ」の解説の一部です。
「富士電機」を含む「古河グループ」の記事については、「古河グループ」の概要を参照ください。
「富士電機」に関係したコラム
-
株365の銘柄の価格は、株価指数に採用されている銘柄の価格をもとにして算出されます。株価指数に採用されている銘柄はその国を代表するような優良企業であることが多く、また、取引高も多く市場から注目されてい...
-
東京証券取引所(東証)では、規模別株価指数の算出のために一部上場銘柄を大型株、中型株、小型株の3つに分類しています。その基準は、時価総額や株式の流動性などによって順位づけしたものになっています。大型株...
-
株式の投資基準とされるPBR(Price Book-value Ratio)とは、時価総額が株主資本の何倍かを示す指標のことで、株価純資産倍率とも呼ばれています。PBRは、次の計算式で求めることができ...
-
株式市場に上場している銘柄を分類する方法の1つに、株価水準が挙げられます。株価水準では、株価の高い、安いによって銘柄を分類します。一般的に株価水準では、次のように分類します。値がさ株(値嵩株)中位株低...
-
株式の投資基準とされるPERとは、株価収益率のことです。PERは、次の計算式で求めることができます。PER=株価÷EPSEPSは、1株当たりの利益額のことで、「当期純利益÷発行済み株式数」で計算されま...
-
株式の投資基準とされるEPSとは、1株あたりの利益額のことです。EPSは、次の計算式で求めることができます。EPS=当期純利益÷発行済み株式数例えば、当期純利益が100億円で発行済み株式数が1億株の企...
- 富士電機のページへのリンク