富士門家中見聞とは? わかりやすく解説

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富士門家中見聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:27 UTC 版)

日精」の記事における「富士門家中見聞」の解説

『富士門家中見聞』(ふじもんけちゅうけんもん、『家中抄』(けちゅうしょう)とも)3巻上中下)は、寛文2年1662年12月18日江戸下谷(したや)の常在寺にて日精上代歴代法主はじめとする主な僧侶伝記記した書。日精真筆大石寺現存しており、富士門流上古時代貴重な歴史資料となっている。 上巻には、第二日興一代伝記記されている。 中巻には、本六人新六人の伝記記されている。 下巻には、本六人新六人以外の日興時代弟子、また第5世日行より第18日盈までの伝記記されている。 ただし、下巻歴代法主伝記には日精自身伝記除き、第16日就伝の次に、すでに死去1638年)している第18日盈伝を記している。また、48日量は『続家中抄』を著し、『家中抄』で除かれた第17日精と第19日舜より第50日誠までの伝記記している。よって、『家中抄』と『続家中抄』をつなぐと、日就 - 日盈 - 日精 - 日舜という順番になり、あたかも日盈が第17世のように見え誤解を招くが、『家中抄』の「日就伝」の中に、「(日就は)江戸法詔寺に下向して直受相承以って予(日精)に授け」とある。また、『続家中抄』の「日精伝」にも、「就師(日就江戸法詔寺に下り金口嫡嫡の大事を以って師(日精)に完付す、盈師(日盈)病に因って湯治の為めに会津実成寺に退穏し、終に彼の地に於いて遷化したもう。之れに依って師(日精同じく寛永14年の春、本山移転し正嫡十八嗣法となる」とある。したがって正確には、第16日就 - 第17日精 - 第18日盈 - 第18日精 - 第19日舜となるが、日盈を第17世とする文はない。

※この「富士門家中見聞」の解説は、「日精」の解説の一部です。
「富士門家中見聞」を含む「日精」の記事については、「日精」の概要を参照ください。

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