富士野往来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:49 UTC 版)
富士野における巻狩りの事象を手紙で他へ通信する形式を含み一形態として史料化したものに『富士野往来』がある。題材には曾我兄弟の仇討ちも含まれる。往来物の祖とも称され、多くで引用され教育の題材(教科書)とされてきた。また海外にも知られていたようであり、李氏朝鮮の『経国大典』にも日本の教育本として紹介されている。成立年は不明であるが、南北朝時代には成立していたとされる。 諸本の書写は文明18年(1486年)から永禄7年(1564年)に集中しており、また現存全諸本の題名は『富士野往来』または『御狩富士野往来』である。富士野往来では曽我兄弟の仇討ちが「藺手(井出)の屋形」で行われた形態をとり、場所については「駿河国富士の南、東宮の原、藺手の屋形」(第9状)とある。また上述のように『運歩色葉集』にも富士野の巻狩の記述が確認されるが、これは富士野往来から採集しているという指摘がある。
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