富士野に到着するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:54 UTC 版)
「曾我兄弟の仇討ち」の記事における「富士野に到着するまで」の解説
源頼朝は信濃国三原野・下野国那須野での狩りを行った後、梶原景時を呼び以下のように言及した。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}東国には狩庭多しといへども、富士野に過ぎたる名所はなし。その野を狩らむ(巻六) 頼朝は駿河国富士野で巻狩を行うことを宣言、景時に伝えた。景時はこれを広く通達した。富士野での巻狩を聞き及んだ五郎は、以下のように述べた。 富士野の御狩と承る(中略)敵を我らが手に懸けずは、我らが身をも我らが命をも敵のため捨ててこそ、悪霊・死霊とも成て御霊の宮とも崇められめ(巻六) 五郎はこれを好機と捉え喜び、これまで仇討ちを達成できなかったのは隙を伺っていたためであり、今度は頼朝の前であっても恐れず陣内の侍にも怯むこと無く断行するべきであると述べる。そして自らの御霊化を宣言した。このように富士野の地に至る前より兄弟は死を覚悟していた。ここから兄弟は富士野で祐経を討つために行動していくこととなる。
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