富士銀行入行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:34 UTC 版)
就職活動では、富士銀行とともに住友銀行を受けていた。住友銀行には面接の段階で落とされたが、本人はその理由について「あなたは夜中、大手町の交差点で横断歩道を渡ろうしている。信号は赤だが、車は全く通っていない。どうしますか。」との問いに、「もちろん渡る」と答えたことが原因ではないかと日経のインタビューで語っている。集団面接で、前田は最後に答えていたが、それ以前の受験者は全員「止まる」と答えていたと言う。 須田慎一郎は著作『巨大銀行沈没―みずほ失敗の真相』で、入行当初から行員のなかでもっとも朝早く勤務し、社長になってもかわらない精勤ぶりと、富士銀行内でのエリートとしての前田の姿を描いている。ただ本人は、先の日経のインタビューで「新入行員の中でも、私の成績は恐らくビリだったようだ」としており、真偽は定かではない。 入行後、最初に配属されたのは金融街東京・日本橋の馬喰町支店。その後は本店に移り、大手法人融資や広報などの本部勤務を長く務める。このため支店長になるのが遅れ、大型の川崎支店長就任が初の経験となった。1992年には再び本部に戻り資本市場部長に就任。1995年に取締役となり融資企画部長に、その後は総合企画部長、公共金融グループ長、財務統轄役員などを務め、富士銀行での最後の役職としては、副頭取であった。みずほ銀行・みずほコーポレート銀行の再編時に、みずほホールディングス社長に就任した。
※この「富士銀行入行」の解説は、「前田晃伸」の解説の一部です。
「富士銀行入行」を含む「前田晃伸」の記事については、「前田晃伸」の概要を参照ください。
- 富士銀行入行のページへのリンク