曽我祐成とは? わかりやすく解説

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そが‐すけなり【曽我祐成】

読み方:そがすけなり

[1172〜1193]鎌倉初期武士河津祐泰(かわづすけやす)の子十郎称した曽我兄弟の兄。


曾我祐成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 09:24 UTC 版)

 
曾我 祐成
『集古十種』より
時代 鎌倉時代
生誕 承安2年(1172年
死没 建久4年5月28日1193年6月28日
改名 一萬丸(幼名)→祐成
別名 通称:曾我十郎
氏族 河津氏曾我氏
父母 父:河津祐泰、母:満功御前横山時重娘)
養父:曾我祐信
兄弟 祐成時致、律師
異父兄弟:原小次郎
養兄弟:祐綱
妾:虎御前
久須美祐寛
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曾我 祐成(そが すけなり)は、鎌倉時代初期の武士曾我兄弟の仇討ちで知られる。

生涯

安元2年(1176年)、祐成が5歳の時、実父・河津祐泰が所領相続をめぐって揉めていた同族の工藤祐経に暗殺された。その後、母(満功御前)が自身と弟を連れ相模国曾我荘(現神奈川県小田原市)の領主・曾我祐信に再嫁した。のち養父・祐信を烏帽子親元服[1]して祐成を名乗り、曽我の家督を継いだ。ただし『吾妻鏡』では、祐信には先妻との間に実子の祐綱がおり、彼が家督を継いでいる。その後は北条時政の庇護の下にあったという。祐成と弟・時致は厳しい生活のなかで成長し、雁の群れに亡き父を慕ったと伝えられる。

建久4年(1193年)5月、祐成は時致と共に源頼朝が開催した富士の巻狩りに参加した[2]

曽我兄弟の仇討ち(歌川広重画)

同年5月28日、曾我兄弟の仇討ち事件は富士の巻狩り最後の夜に起きた。『吾妻鑑』28日条には「曽我十郎祐成・同五郎時致、富士野の神野の御旅館に推參致し工藤左衛門尉祐経を殺戮す」とあり、曽我兄弟は富士野の神野の御旅館におしかけて工藤祐経を討った。このとき酒の相手をしていた王藤内も討たれた。傍に居た手越宿と黄瀬川宿の遊女は悲鳴を上げ、この一大事に現場は大騒動となった。この後、祐成は駆けつけた祐経の部下の仁田忠常に討たれるが、時致は頼朝の御前を目指して、向かってきた武士たちをことごとく倒して頼朝の宿所に押し入った。しかし、頼朝の宿所の中にいた御所五郎丸は時致の身を一人で取り押さえた[2]。仇討ちの翌日である29日に頼朝は時致の尋問を行い、有力御家人らがそれに同席し、その他多くの者も群参した。尋問を終えた頼朝は時致の勇姿から宥免を提案するが、祐経の子である犬房丸の訴えにより同日梟首された[3]

曽我五郎・曽我十郎(歌川国貞画)

その後、祐成の妾であるという名の大磯の遊女が召し出されて訊問されたが、無罪だったため放免され、箱根で祐成の供養を営み、祐成が最後に与えた葦毛の馬を捧げて出家を遂げ信濃善光寺に赴いた。また、出家して律師と号していた祐成らの末弟が兄たちに連座して鎌倉へ呼び出され甘縄で自害し、祐成らの同腹の兄弟(異父兄弟)である原小次郎(北条本『吾妻鏡』や『曽我物語』では「京の小次郎」)がこの事件に連動して失脚した源範頼の縁座として処刑されている。

曾我十郎首塚(静岡県伊東市馬場町)

系譜

曾我氏は、桓武平氏千葉氏の支流であり、我祐家が相模国曾我荘(現神奈川県小田原市周辺)を本拠として曾我氏と称したのに始まる[4]

曾我兄弟の子孫は、室町時代足利将軍家奉公衆となり室町幕府に仕えた。足利義昭の近習に曽我晴助がいる。

文化において

演劇

曾我祐成は、歌舞伎の曽我兄弟の仇討ちを主題とする『曽我もの』に登場する。

  • 歌舞伎狂言『曽我狂言』は、曾我兄弟の仇討ちを主題とする[5]
  • 歌舞伎狂言『曽我綉侠御所染』は、曾我兄弟と主人公の御所五郎蔵を主題とする[6]

浮世絵

曾我祐成は浮世絵の画題の一つである。以下は、曾我祐成が描かれた浮世絵である。

映画

  • 曾我兄弟狩場の曙』(1908年、演:中村歌扇)
  • 『曾我十番斬』(1916年、演:沢村四郎五郎
  • 『永禄曾我譚』(1917年、小林、演:片岡市女蔵)
  • 『小袖曽我』(1920年、演:嵐璃徳
  • 『夜討曽我』(1923年、帝キネ、演:嵐璃徳)
  • 『曽我』(1927年、演:松本田三郎)
  • 『日活行進曲 曽我兄弟』(1929年、演:久米譲
  • 『夜討曽我』(1929年、マキノ、演:沢田敬之助
  • 『仇討日本晴 孝の巻 曾我兄弟』(1931年、帝キネ、演:雲井龍之介
  • 『富士の曙 少年曾我』(1940年、演:辰巳好太郎)
  • 曽我兄弟 富士の夜襲』(1956年、東映、監督:佐々木康、演:東千代之介

テレビドラマ

小説

  • 高橋直樹『天皇の刺客』(文庫題:『曾我兄弟の密命―天皇の刺客』)文藝春秋

漫画

歌謡曲

画像集

脚注

  1. ^ 『真名本曾我物語』巻第五(所収:青木晃・池田敬子・北川忠彦編 『真名本曾我物語1』(平凡社東洋文庫四六八、1987年)P.253)、坂井孝一『曽我物語の史実と虚構』(吉川弘文館、2000年)P.117-118、山野龍太郎「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」(所収:山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』(思文閣出版、2012年)P.178・182 脚注(23)。
  2. ^ a b 『曽我物語 岩波古典文学大系88』岩波書店、1966年、p 362~363頁。 
  3. ^ 坂井孝一『曽我物語の史的研究』吉川弘文館、2014年。pp.117–118。ISBN 978-4-6420-2921-6
  4. ^ 『世界大百科事典 第2版』平凡社、1998年、曾我氏頁。 
  5. ^ 松村 明『大辞泉』小学館、1995年、曽我狂言頁。 
  6. ^ 『日本大百科全書』小学館、1998年、曽我綉侠御所染頁。 ISBN 4-09-906721-1OCLC 1150226150 

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