伊東祐時とは? わかりやすく解説

伊東祐時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 03:33 UTC 版)

 
伊東 祐時
時代 鎌倉時代前期
生誕 文治元年(1185年
死没 建長4年6月17日1252年7月24日
改名 犬房丸(幼名)、祐時
別名 工藤祐時、三郎
官位 従五位上左衛門尉大和
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝頼家実朝藤原頼経
氏族 工藤氏伊東氏
父母 父:工藤祐経
兄弟 祐時安積祐長工藤祐長、祐光
土肥遠平
早川祐朝、稲用祐盛、三石祐綱、田島祐明、長倉祐氏、祐光、門川祐景、木脇祐頼、稲用祐忠
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伊東 祐時(いとう すけとき)は、鎌倉時代前期の武将御家人日向伊東氏の祖。

生涯

幼名は犬房丸。建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちで父工藤祐経が曾我兄弟に討たれる。父を討った曾我時致は助命の動きもあったが、犬房丸が泣いて訴えた事により、時致の身柄は祐経の一族に引き渡されて処刑された。その後、幕府御家人として仕える。

承久3年(1221年)6月の承久の乱では幕府方の東海道軍に加わる。安貞元年(1227年)、御所内裏焼失の際、将軍御使として上洛した。

嘉禎元年(1235年)、従五位上検非違使左衛門尉、大和守に任じられた。

建長4年(1252年)、68歳で没。


妻は土肥遠平の娘であるが妻の母親は伊東祐親の娘とされており、所領のひとつであった愛知県の設楽地域に伊豆から伊東祐親に関係する伊東氏の一族を呼び寄せ所領を分け与えたという伝承が本郷町史編纂委員会による振草本郷の中で語られている。

参考文献

  • 『保元物語 平治物語 承久記』〈新日本古典文学大系〉岩波書店、1992年。
  • 振草本郷」本郷町史編纂委員会 昭和30年1月発行




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