諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 04:01 UTC 版)
『椿葉記』には永享3年から4年にかけて書かれた最初の草稿及び後花園天皇元服時と後小松法皇崩御後に2度にわたって増補・校訂された草稿の3種類が存在しており、伏見宮家から宮内庁書陵部に移されている(ただし、最初の草稿と見られる通称「甲本」は断簡のみ、次のものとされる通称「乙本」は一部欠け、最後のものとされる通称「丙本」はほぼ全文が伝わっている。なお、「丙本」は「乙本」の裏に貼りつけられており、「乙本」の一部が欠けるのは貞成親王が「丙本」を貼り付けた際に反故にされたと見られている)。複数回の校訂が行われた背景には、『椿葉記』の内容が、当時の治天の君である後小松法皇の意向に真っ向から対立せざるを得ない部分を含んでおり(特に太上天皇尊号の要望の件など)、こうした部分に関して慎重に推敲を重ねた結果であると考えられている。 乙本から更に推敲が加えられて貞成親王から後花園天皇に出されたとされる奏覧本の原本が残されていないため、全容の把握が困難である。また、奏覧本からの写本の系統を引くとされる旧伏見宮家所蔵以外の諸本も異同や明らかな脱落部分が多いとされている。これらの写本の多くが長年、皇室や公家の邸宅などに秘蔵されていたもので、その中でも大きく分けて東山御文庫所蔵本(現在御府御蔵)や葉室本(現在宮内庁書陵部所蔵)を祖形とする2系統が存在するが、その祖本とされる2種にしても誤字や脱文がかなりの箇所にのぼるとされている。更に、刊行されて民間に流布されてきたのは群書類従帝王部に収められたものであるが、底本の伝来経緯が不明の状態で東山御文庫本・葉室本とも文章の違いがあり、異なる系統に属するとも言われている。 戦後になって、村田正志が東山御文庫本のほぼ忠実な写本とされている三条西家所蔵本を底本に、同じ東山御文庫系統の藤波本(細川幽斎による写本が藤波家を経て宮内庁書陵部に伝えられたもの)や葉室本、群書類従本を元に補訂して、更に伏見宮家の3種の草稿を掲載して対照可能とした『證註椿葉記』を刊行している。また、宮内庁書陵部も1985年に「乙本」と「丙本」の複製を吉川弘文館から限定刊行している。
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