そこ‐ほん【底本】
てい‐ほん【底本】
底本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 09:34 UTC 版)
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底本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 20:10 UTC 版)
この源氏物語別本集成では、底本には基本的に陽明文庫本を使用している。これは青表紙本でも河内本でもない本文を底本にすることによってそれらを客観的にみることが出来るようになることを目指しているためである。陽明文庫本は多くの筆者によって書写された、巻によって青表紙本や河内本を含むことがある取り合わせ本であり、一部後の時代に補写された巻もあるものの、多くは鎌倉時代に書写されたもので、平安時代の注釈書である源氏釈に引かれた本文や源氏物語絵巻の詞書に近い本文を含んでいる本文研究上重要な写本である。但し陽明文庫本には青表紙本の本文を持つと考えられた巻も存在するため、『源氏物語別本集成』ではそれらの巻については別本であるとされた麦生本や保坂本を底本にしていた。これに対し、『源氏物語別本集成 続』では別本の概念の見直しに伴い「河内本とみなせる写本以外はすべて別本である」との方針をとったために全帖にわたって陽明文庫本を底本にするようになった。
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底本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:15 UTC 版)
本校本は、全体としては「その数量において、またその形態・内容において希有の伝本である」とされた大島本を底本としている。但し、巻ごとに見ると、藤原定家の自筆本が存在する巻についてはそれを底本にしている。(柏木、花散里(尊経閣文庫蔵 前田家本))、早蕨(東京国立博物館蔵 保坂本) なお、藤原定家自筆本のうち、行幸(関戸本)については当時存在が知られていなかったため『源氏物語大成』ではこれを採用していない。 また、 大島本に欠けている巻(浮舟) 大島本があってもそれが飛鳥井雅康の筆でなく後人の補筆である巻(桐壺、夢浮橋) 大島本が飛鳥井雅康の筆であっても別本系統の本文であることが判明した巻(初音) については大島本を底本にせず「大島本ニ次グベキ地位ヲ有スル」とされた二条為明らの書写と伝えられる池田本(旧池田亀鑑所蔵本)を底本にしている。 また、これ以後に作られた校訂本では冷泉明融により藤原定家の自筆本を文字の配列や字形に至るまで忠実に写し取った臨模本とされる明融臨模本が存在する巻(桐壺、帚木、花宴、若菜上下、橋姫、浮舟)については大島本よりもそちらを底本にすることが多いが、当時はその存在が知られていなかったため『校異源氏物語』の段階では採用されず、『源氏物語大成』校異編において巻末に補記する形で異同を記している。 『源氏物語大成』の底本とされた大島本について言えば、この写本には、最初に書かれた本文に対して、時代の異なる(おそらく最初の書写後あまり間をおかない時期から江戸時代末期ころまでの期間にわたる)複数人によると見られる多くの墨筆・朱筆による書入れ・ミセケチ等が行われている。当初書かれた本文が比較的藤原定家の本文をよく保存しているよい青表紙本系統の本文であると考えられる(但し一部に独自の異文も見られる)のに対して後の書き込みの多くが河内本系統の本文によるものであると見られている(但し中には定家の自筆本に合わせた訂正も見られる)。 このような状況のもとで、本書では大島本の本文に訂正がある場合、書き込みにより訂正された後の本文を底本として採用していることが多いが、その方針で一貫しているわけでもなくもとの本文がそのまま採用されている場合もある。このような態度は底本である大島本についてだけでなく校合に使用した諸写本についても見られるため、伊井春樹などはこれを「近代になっての新しい異文発生の例」と呼んでいる。このため最近の本文比較研究では、「本来の大島本」(後の訂正が加わる前の最初に書かれた大島本の本文)とは別に「『源氏物語大成』の底本としての大島本」を一つの比較対照の本文とすることがある。なお、大島本にある大量の補訂作業の痕跡は本書及びこれに続くいくつかの校訂本において部分的に明らかにされてきたが、1996年(平成8年)に大島本の影印本が刊行されたことにより、その全貌が明らかになった。 また、この校本作成作業の開始時は河内本系統の写本を元に作業を開始したことは知られているが、それが河内本系統の中のどのような写本であったのかは明らかではない。また池田亀鑑の弟である池田晧は、「底本は数回変更された。」と語っており、底本が変更されたのは河内本系統の写本から大島本に変更された1回だけではないことになる。
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底本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 23:51 UTC 版)
崋山は上記のとおり前後矛盾し結論の出ていない文章だったことから公開しなかった。それが蛮社の獄の際、幕吏による家宅捜索で発見され、日の目を見ることとなった。写本により伝わるが、もともと「乱稿」なために、決定的な底本がないという。
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底本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 07:49 UTC 版)
「下田日記 (川路聖謨)」の記事における「底本」の解説
川路自筆の日記が宮内庁書陵部にある。1930年(昭和5年)に川路家から贈与されたもの。
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底本
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