文化13年 (ひのえね 丙子)
年(年号) | |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 |
●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 |
●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 |
1816年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/27 06:39 UTC 版)
1816年(1816 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年。
- ^ チャロナー 2011, p. 267「スターリングが、蒸気にかわる運転音の静かなエンジンを作る。」
- ^ 中塚武 監修「一八一六年の宮古島における台風・旱魃被害」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p29 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480
- 1 1816年とは
- 2 1816年の概要
- 3 できごと
- 4 参考文献
1816年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:28 UTC 版)
夏のない年と呼ばれている。インドネシアのタンボラ山が大規模な噴火を起こしたことにより、地球規模で冷夏になり、特にヨーロッパ、北アメリカ、中国北部では飢餓により多くの餓死者が出た。
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1816年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:45 UTC 版)
「フランツ・シューベルト」の記事における「1816年」の解説
シューベルトの運命に最初の変化が見えた。コンヴィクト時代からの友人シュパウンの家でシューベルトの歌曲を聴いていた法律学生フランツ・ショーバー(1796年 - 1882年)がシューベルトを訪問し、教師を辞め、平穏に芸術を追求しないかと提案した。シューベルトはライバッハ(現在のリュブリャナ)の音楽監督に志願したが不採用になったばかりで、教室に縛りつけられているという思いが強まっていた。父親の了解はすぐに得られ、春が去るころにはシューベルトはショーバーの客人になった。しばらくの間、彼は音楽を教えることで家具類を買い増そうとしたが、じきにやめて作曲に専念した。「私は一日中作曲していて、1つ作品を完成させるとまた次を始めるのです」と、訪問者の質問に答えていたという。 1816年の作品の1つはサリエリの6月16日記念祭のための『3つの儀式用カンタータ』(D407)、もう1つの『プロメテウス・カンタータ』(D451)はハインリヒ・ヨーゼフ・ワターロート教授の生徒たちのためで、教授はシューベルトに報酬を支払った。彼は雑誌記者に「作曲で報酬を得たのは初めてだ」と語っている。もう1曲は、《教員未亡人基金》の創立者で学長ヨーゼフ・シュペンドゥのための『カンタータ』(D472)である。もっとも重要な作品は『交響曲第4番ハ短調』(D417) で《悲劇的交響曲》と呼ばれ、感動的なアンダンテがある。次いでモーツァルトの交響曲のように明るく新鮮な『第5番変ロ長調』(D485)、その他多少の教会音楽であった。これらはゲーテやシラーからシューベルト自身が選んだ詩だった。 この時期、友人の輪が次第に広がっていった。マイアーホーファーが彼に、有名なバリトン歌手フォーグル(1768年 - 1840年)を紹介し、フォーグルはウィーンのサロンでシューベルトの歌曲を歌った。アンゼルムとヨーゼフのヒュッテンブレンナー兄弟はシューベルトに奉仕し崇めていた。ガヒーは卓越したピアニストでシューベルトのソナタや幻想曲を演奏した。ゾンライトナー家は裕福な商人で、長男がコンヴィクトに所属していた縁もあって自宅を自由に使わせていたが、それは間もなく「シューベルティアーデ」と呼ばれ、シューベルトを称えた音楽会へと組織されていった。 シューベルトは貧しかった。それというのも教師を辞めたうえ、公演で稼ぐこともできなかったからである。しかも、音楽作品をただでももらうという出版社はなかった。しかし、友人たちは真のボヘミアンの寛大さで、ある者は宿を、ある者は食料を、他の者は必要な手伝いにやってきた。彼らは自分たちの食事を分け合って食べ、裕福な者は楽譜の代金を支払った。シューベルトは常にこのパーティーの指導者であり、新しい人が紹介されたときの、「彼ができることは何か?」という質問がこの会の特徴をよく表している。
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