湯島聖堂とは? わかりやすく解説

ゆしま‐せいどう〔‐セイダウ〕【湯島聖堂】

読み方:ゆしませいどう

聖堂(せいどう)【二】


湯島聖堂

名称: 湯島聖堂
ふりがな ゆしませいどう
種別 史跡
種別2:
都道府県 東京都
市区町村 文京区湯島一丁目
管理団体 財団法人斯文会(昭31・418)
指定年月日 1922.03.08(大正11.03.08)
指定基準 史4
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 公益上必要止ムヲ得サル場合ノ外現状變更許可セサルコトヲ要ス
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史跡:  清滝寺京極家墓所  清色城跡  渋野丸山古墳  湯島聖堂  湯築城跡  滝山城跡  潜塚古墳

湯島聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 02:41 UTC 版)

湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。JR中央線御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。




注釈

  1. ^ すぐに旧岸和田藩邸(現在の東京都立日比谷高等学校界隈の場所)にて開校したが、文部省設置と共に引き取られた。
  2. ^ 1871年(明治4年)以降、湯島聖堂の構内界隈に文部省、博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館の前身)、東京師範学校東京高等師範学校東京教育大学を経て現在の筑波大学)及びその附属学校(現在の筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、東京女子師範学校東京女子高等師範学校を経て現在のお茶の水女子大学)及びその附属学校(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園お茶の水女子大学附属小学校お茶の水女子大学附属中学校お茶の水女子大学附属高等学校)が一時置かれていたことがある。
    後に、文部省は霞が関に、国立博物館は上野に、東京師範学校は文京区大塚を経て現在の茨城県つくば市に移転し筑波大学となった。東京師範学校の各附属学校等や、東京女子師範学校及びその附属学校(当初は湯島一丁目の聖堂構内界隈、お茶の水橋たもとにあったためお茶の水女子大学と名付けられた)はそれぞれ文京区大塚に移転し、現在も留まっている。

出典

  1. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 180–181.
  2. ^ a b c 東京地下鉄道千代田線建設史、pp.484・751。
  3. ^ 「仮面女子」猪狩ともか、腰の骨を折る重傷か…強風で倒れた案内板が直撃”. スポーツ報知 (2018年4月12日). 2018年4月12日閲覧。
  4. ^ 車いすの「仮面女子」猪狩さん国を提訴 「看板安全対策怠った」”. 毎日新聞. 2021年5月15日閲覧。
  5. ^ 日本放送協会. “「仮面女子」メンバーの訴え退ける 看板事故で国の賠償認めず | NHK”. NHKニュース. 2022年6月27日閲覧。


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