東京女子師範学校とは? わかりやすく解説

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東京女子師範学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:45 UTC 版)

東京女子高等師範学校」の記事における「東京女子師範学校」の解説

1873年明治6年11月文部省学監お雇い外国人ダビッド・モルレー申報のなかで日本欧米諸国倣って女性を「児童教育スル最良教師」として育成することを建言し、文部少輔である田中不二麿もこれに同調して1874年明治7年1月三条実美太政大臣対し東京府下ニ一箇女子師範学校ヲ設ケ」る「伺」を提出した。これが承認され同年3月13日には木戸孝允文部卿により湯島聖堂(旧昌平坂学問所構内界隈現在のお茶の水橋たもとに女子師範学校設置する布達発令日本最初の(官立女子師範学校である東京女子師範学校の設立となった11月開校)。 設立当時東京女子師範には、1872年明治5年)に設立開校され日本初女子中等教育機関である東京女学校から相当数生徒女子師範予科へと転学しており、当時一般により高い教育学問求めていた女性進学先として見なされていたことが知られる当時修業年限5年課程10級に分けられ地理・歴史物理学化学大意修身学・雑書修辞・書取・作文数学算術代数・幾何)・経済学博物学教育論・記簿法・養生書・手芸・画学唱歌体操授業法・実地授業学科目講義された。官立師範学校先行東京東京女子続いて愛知広島新潟・大阪・長崎宮城の6校が大学区制に対応して設立されたが、これら6校は西南戦争後財政難により1877年明治10年)から1878年明治11年)にかけて廃止代わりに府県立師学校女子師範学校設立奨励された)されたため、東京女子師範東京師範(のちの東京高師筑波大学前身)と並ぶ2官立師範学校一方占めることとなった1877年明治10年2月には附属幼稚園お茶の水女子大学附属幼稚園前身)、翌1878年明治11年6月には幼稚園保姆保母練習科がそれぞれ設置され幼児保育教育およびそれらを担う保母育成開始されることになった。さらに1877年2月には附属小学校お茶の水女子大学附属小学校前身)、1882年明治15年7月附属高等女学校お茶の水女子大学附属中学校お茶の水女子大学附属高等学校前身)が発足し生徒実地研修の場としての附属学校園制度順次整備されていった。とくに後者は、やはり西南戦争後財政難1877年明治10年2月廃止され東京女学校事実上継承したものであり、全国初の高等女学校として、その後道府県設置され旧制女子中等教育機関モデルケースとなった1883年明治16年)の教則改正東京女子師範師範学校教則大綱中の「高等科」(小学校および中等学校教員になるための学科)のみを教授することとなったが、財政難による全国道府県女子師範学校の(男子師範学校への統合という流れのなかで1885年明治18年6月東京師範学校統合されてその「女子部」に改組された。この時東京女子師範附属学校園東京師範附属学校統合されることとなった(ただし附属高女のみはいったん本校から文部省直轄学校として一時独立する経緯たどった)。

※この「東京女子師範学校」の解説は、「東京女子高等師範学校」の解説の一部です。
「東京女子師範学校」を含む「東京女子高等師範学校」の記事については、「東京女子高等師範学校」の概要を参照ください。

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