おぎの‐ぎんこ〔をぎの‐〕【荻野吟子】
おぎのぎんこ 【荻野吟子】
荻野吟子 おぎの ぎんこ
埼玉生まれ。日本における最初の女性医師。16歳で結婚するが病を得て離婚。東京女子師範学校を経て、私立医学校好寿院に学ぶ。明治18年(1885)医術開業試験に合格、荻野医院を開業、女性として初めて医籍に登録された。キリスト教婦人矯風会に参加、23年(1890)牧師志方之善と結婚し、27年(1894)北海道に渡り開業。夫の死後帰京し、41年(1908)東京でも医院を開いた。
キーワード | 医師・薬剤師等 |
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荻野吟子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 08:13 UTC 版)
荻野 吟子(おぎの ぎんこ(戸籍上の本名:荻野ぎん)、1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家としても知られる。なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた。西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 - 1903年)がいる。
- ^ この頃のことを、吟子は『女学雑誌』354号にこのように書いている。
- 「…願書は再び呈して再び却下されたり。思うに余は生てより斯の如く窮せしことはあらざりき。恐らくは今後もあらざるべし。時方に孟秋の暮つかた、籬落の菊花綾を布き、万朶の梢錦をまとうのとき、天寒く霜気瓦を圧すれども誰に向かってか衣の薄きを訴えん。満月秋風 独り悵然として高丘に上れば、烟は都下幾万の家ににぎはへども、予が為めに一飯を供するなし。 …親戚朋友嘲罵は一度び予に向かって湧ぬ、進退是れ谷まり百術総て尽きぬ。肉落ち骨枯れて心神いよいよ激昂す。見ずや中流一岩の起つあるは却て是れ怒涛盤滑を捲かしむるのしろなるを。」
- ^ 開業当初は第1号女医と新聞や雑誌にもてはやされ、一時は患者にあふれたものの、当時は中産階級以下の者は医者にかかることなく祈祷師や民間療法に頼る時代で、また保険医療もなく、たとえ患者として受診した者に対しても、高額になる医療費を全ての者に全部支払ってもらうことなど出来ない時代であった。その上、女性医師は信頼できないという者が多く、医業では成功しなかったとされる。しかし、女性に対して医術開業試験への門戸を開いたという意味で、荻野は重要な人物である。
- ^ “さいたま郷土かるた(1982年11月発行 旧版)”. 2020年4月23日閲覧。
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