楠本イネとは? わかりやすく解説

楠本イネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 23:19 UTC 版)

楠本 イネ(くすもと いね、文政10年5月6日1827年5月31日)- 明治36年(1903年8月26日[1])は、日本医師。現在の長崎県長崎市出身。


注釈

  1. ^ 実際は日独混血であるが、オランダ政府に雇用されていたシーボルトが江戸幕府に対し、自分をオランダ人と偽っていたため、こう呼ばれた。ドイツ人なら当時は上陸が許されなかった。
  2. ^ イネの母である瀧は丸山遊女(源氏名「其扇(そのおうぎ、そのぎ)」)と言われるが、実際に遊女をしていたわけではなく、シーボルトに見初められ、出島に出入りをするために「名付遊女」(遊女屋に手数料を支払って名義だけの籍を置くこと)として遊女のふりをしていただけである。

出典

  1. ^ 楠本イネ(くすもとイネ)とは”. コトバンク. 朝日新聞社. 2019年4月10日閲覧。
  2. ^ a b 宇神幸男『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像』p.236
  3. ^ 宇神幸男『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像』p.59-p.60
  4. ^ 母いねのこと”. 2015年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月30日閲覧。
  5. ^ a b c d 宇神幸男『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像』p.139
  6. ^ a b 宇神幸男『幕末の女 医楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像』p.52-p.53


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楠本イネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 02:35 UTC 版)

花神 (小説)」の記事における「楠本イネ」の解説

シーボルト娘。物心つく前に生き別れになった父への憧憬から蘭学修め医師になることを志すシーボルト門人であり養育託され二宮敬作から産科を学ぶことを薦められ同じくシーボルト門下生であった備前国岡山石井宗謙元に弟子入りする蘭語もろくに教えてもらえず、挙句手篭めにされて子を身籠る。しかし緒方洪庵使いで宗謙を訪ねて来た蔵六知り合いほどなく蔵六蘭学講師として宇和島藩招聘された際に宇和島藩仕え二宮敬作引き合わせ再会したまさかその指導を受けることとなる。蔵六江戸へ出た後はその後追って開港間もない横浜産科医院を開きその後一旦長崎戻って幕府招聘来日していたオランダ人医師ポンペについて本格的に西洋医学学び、再び横浜産科医として開業する産婆ではなく正式に医学修めた日本初女医

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