フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
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フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(ドイツ語: Philipp Franz Balthasar von Siebold、1796年2月17日 - 1866年10月18日)は、ドイツの医師・博物学者。出島の三学者の一人。
注釈
- ^ オランダ人と偽って日本に入国しており、「シーボルト」はオランダ語の発音に近い。また、出身であるヴュルツブルクはバイエルン・オーストリア語が使われており、「S」の有声化が少ない特徴があるため、出身地の発音としてもシーボルトが近い。
- ^ ヴュルツブルクはシーボルトの少年期から青年期にかけて帰属する国家が様々に変遷しており、1803年にバイエルン選帝侯領へ編入され、1805年にヴュルツブルク大公国の首都となった後、1814年からバイエルン王国に属するようになった。神聖ローマ帝国は1806年に滅亡した。
- ^ デリンガーは後にミュンヘン大学の教授や上級宮中顧問官になるなど、生理学者、比較解剖学者としてヨーロッパの学会に広く名を知られた人物だった。彼は医学だけでなく、自然科学全般に深い関心をもち、自宅に当時名高い多くの学者が集まり、様々な問題について議論をしていたといわれる。
- ^ シーボルトを教えた教授の中で特に賞賛されているのが、デゥトルポン教授(産科学)、テクストル教授(理論外科学)、そしてシェーンライン教授である。特にシェーンラインは特殊治療および臨床学担当の教授で、シーボルトは多大な影響を受けた。自然史研究(博物学)の方法論に沿った、観察、記述、比較を重んじ、ドイツで初めて聴診、打診、血液や顕微鏡による観察と科学的分析を導入した。
- ^ 「シーボルトとツッカリーニが日本から記載した分類群のレクトタイプと原資料」について執筆が進む[2]。2002年初に単子葉植物綱 (1) [3]。「SieboldとZuccariniが日本から記載した分類群レクトタイプと原資料」シリーズ。
- ^ 持ち帰った植物にはイタドリも含まれていたが旺盛な繁殖力から、後年にわたる外来種として問題視されることとなる。詳細はイタドリの記事を参照。
- ^ 妻となるヘレーネ・フォン・ガーゲルンは無爵位の貴族出身。戦前の日本であれば華族ではなく士族相当の階層。
- ^ シーボルトが集めた標本と博物画のデジタル化事業。植物の学名で命名者がSieb. et Zucc.とあるのは、彼らが命名し現在も名前が使われている種である。アジサイなどヨーロッパの園芸界に広まったものもある
- ^ 別題:シーボルト文献研究会『日本博物志』、日本学会 (編輯)、東京:郁文堂 (発売)、1937年、NCID BA38976382。「シーボルト文献蒐録 第三回」限定出版・300部。付録として江崎悌三著「日本博物誌:解説」3頁。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 西南学院大学 国際文化論集 2011, pp. 155–228.
- ^ 秋山 忍、Thijsse G、Esser H.J、大場 秀章「Siebold and Zuccarini's type specimens and original materials from Japan, part 1. Gymnosperms(第1部:裸子植物)」『植物研究雑誌 J. Jpn. Bot.誌』第87巻第5号、ツムラ、阿見町 (茨城県)、2012年、326–353頁、ISSN 0022-2062、OCLC 852294826。「SieboldとZuccariniが日本から記載した分類群レクトタイプと原資料」シリーズ。
- ^ 秋山 忍、Thijsse G、Esser H.J、大場 秀章「Siebold and Zuccarini's type specimens and original materials from Japan, Part 13. Angiosperms : Monocotyledoneae (1)(第13部)被子植物 単子葉植物綱(1))」『植物研究雑誌 J. Jpn. Bot.誌』第95巻第1号、2020年2月、9-33頁。
- ^ 秦新二 2007.
- ^ a b 山東功 2013.
- ^ 澤田武太郎 1927, pp. 43–45.
- ^ “日本遠征関連逸話集 >> 7.確執! シーボルトとペリー”. 在NY日本総領事館. 2017年10月16日閲覧。
- ^ a b c d e 西南学院大学 国際文化論集 2012.
- ^ a b c d e f g h 西南学院大学 国際文化論集 2013, pp. 247–308.
- ^ 薬学史事典 & 2016年, pp. 177–178.
- ^ 山東功.
- ^ a b “シーボルトとは”. コトバンク. 2020年3月6日閲覧。
- ^ 「ニュース:文化 > シーボルト長男、明治新政府の偽札防止に貢献」『産経新聞』、2009年10月5日。オリジナルの2009年10月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 岩田祐作. “本人の手記「シーボルト記念碑とたき・いね・たかへ」”. 2008年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月30日閲覧。
- ^ 岩田祐作 2008.
- ^ 宮崎克則『『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』花乱社、2017年 がある。
- 1 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとは
- 2 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの概要
- 3 親族
- 4 主な著書と日本語訳
- 5 登場作品
- 6 参考文献
- 7 関連項目
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
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「シノビノ」の記事における「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」の解説
ドイツの医者。30年前に長崎の出島で5年間蘭方医として勤めるが、帰国する際に禁止されていた日本地図の持ち出しを計ったため国外追放される(シーボルト事件)。日本に残した妻の滝(たき)、娘のイネにコレラのワクチンを届けるため黒船に潜入して密入国する。幕府からは追われる身の為、甚三郎に護衛を依頼。
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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
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「花神 (小説)」の記事における「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」の解説
ドイツ人医師。本作の時代から三十年ほど前、ヨーロッパにおいてほとんど未開拓の状態にあった日本学を開拓することを志し、オランダの軍医少佐の肩書で来日した。幕府の公認の下で長崎郊外の鳴滝に塾舎を構えて多くの俊才を育成し、江戸後期の蘭学を一変させた。その傍ら、日本の自然や文物に関する資料を多岐に渡って熱心に蒐集し、輸出禁制の品を持ち出そうとしたことから幕府より国外追放されることとなるものの(シーボルト事件)、滞日中に重ねられた研究はヨーロッパで高い評価を受け、彼の地における日本学の祖となった。
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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
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「知日派」の記事における「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」の解説
ドイツの医師、博物学者。長崎に私塾・鳴滝塾をつくった人物。オランダ商館医の身分で赴任したため、オランダ人のふりをしていた。
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「出島の三学者」の記事における「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」の解説
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(フィリップ・フランツ・フォン・ズィーボルト)は、ドイツ人医師・博物学者。文政6年(1823年)から文政12年(1829年)まで出島に滞在。長崎商館医として着任したが、翌年には鳴滝塾を開いて日本人に医学・博物学の指導を行う。一方で、日本についての資料の収集に努めた。文政11年(1828年)シーボルト事件を起こし、翌年国外追放。安政6年(1859年)オランダ商事会社顧問として再来日。江戸幕府の外交顧問としても働いた。文久2年(1862年)帰国。著書に『日本』『日本植物誌』『日本動物誌』がある。これらの書物はペリーの来航にも影響を与えた。
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固有名詞の分類
江戸時代の人物 | 孝子長五郎 井上井月 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 音吉 岡村輔之 |
幕末の外国人 | ジョン・オーリック エドゥアルド・スエンソン フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト アレクサンダー・フォン・シーボルト タウンゼント・ハリス |
ドイツの医師 | ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・バイエルン ヨーゼフ・ヤーダスゾーン フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト レオノール・ミカエリス マグヌス・ヒルシュフェルト |
ドイツの東洋学者 | アンドレアス・グルシュケ フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト ヴォルフガング・ヘルク フリードリヒ・リュッケルト フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン |
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