音吉
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音吉(おときち 英語: John Mathew Ottoson、文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)は、江戸時代の水主・漂流民[1]。後にはジョン・マシュー・オトソン(英語: John Matthew Ottoson)と名乗った。名は乙吉とも記される。山本音吉とも。ロンドンに初めて上陸した日本人(1835年)とされ、マカオ[2]に現存する最古とされる日本語訳の聖書の編纂に関係し、モリソン号事件では漂流民として船に乗り、上海でデント商会に勤めた。1849年のイギリス船マリナー号の浦賀来航に際し、中国人「林阿多」(リン・アトウ)と名乗り通訳として同行し、更に1854年の日英和親条約締結の際に通訳としてイギリス側に同行した。また、初めてイギリスに帰化した日本人とされており[3][4][5]、ほぼ地球を一周した。
注釈
出典
- ^ 齋藤 2017, 「解説 : 福澤が見たアジア――シンガポールと漂流人音吉」(福澤諭吉『世界国尽』より)。
- ^ 沖田, pp. 202–203
- ^ a b c “Yamamoto Otokichi”. アーカイブ. Singapore Infopedia. 2020年5月11日閲覧。
- ^ 春名 1979, p. 293, 『にっぽん音吉漂流記』上海の「租借地名簿」に名前の記載がある。
- ^ “美浜町の偉人について 山本音吉とは : ~知多の海から世界の海へ~”. 美浜町 (2019年8月8日). 2021年3月26日閲覧。
- ^ 山口 2017, 「『三吉』との接点を巡るミステリー」
- ^ 春名 1979, p. 39, 「栄力丸漂流記」
- ^ 山本 1926, pp. 40-, 「四 日本の漂流人とグツツラフ」
- ^ a b c “現存する最古の和訳聖書の翻訳に尽力 音吉の銅像を故郷・美浜町に建立へ”. クリスチャントゥデイ. (2018年3月3日) 2018年3月14日閲覧。
- ^ 久田 2021, 「第1部 音吉聖書に至る道」
- ^ 久田
- ^ 久田 2021, 「第3部 音吉聖書の読解」
- ^ 「音吉の生涯(1819‐1867);音吉研究の経過;音吉聖書」(『音吉表現のギュツラフ訳聖書』)を読む前に[10])、音吉聖書(現代語訳)[11]、ヨハネ伝の要約;ヨハネ伝の哲学よみ;宗教と哲学、音吉の哲学思想陶冶の物語[12]。
- ^ “ヘボンと日本語訳聖書誕生の物語(1)プロローグ―漂流する聖書”. クリスチャントゥデイ. (2018年4月4日) 2018年4月21日閲覧。
- ^ 山本 1926, pp. 46-, 「五 日本の漂流民とモリソン号の使命」
- ^ 山本 1926, pp. 52-, 「六 モリソン号の失敗と日本漂流民の行衛」
- ^ [15][16]
- ^ 春名 1979, p. 172
- ^ 春名 1979, p. 172
- ^ シンガポールで遣欧使節に対して、戦争に参加する事14回[19]と述べた。
- ^ 音吉顕彰会からのお知らせ - ウェイバックマシン
- ^ 「山本音吉「140年前のご厚意に感謝」: 愛知の顕彰会、倉敷・旧野崎家訪問へ 長男の日本国籍取得支援」『毎日新聞』2016年11月22日。
- ^ 「山本音吉 長男の日本国籍取得支援 : 140年前の感謝伝え 愛知の顕彰会、倉敷訪問」『』毎日新聞、岡山、2016年12月1日。
- ^ 春名 1979, p. 288
- ^ “[現]小野浦海岸の県道東側、若宮八幡前にある(美浜町小野浦)。日本聖書協会が1956年(昭和31年)建設。”いわきちひさきちおときちしょうとくきねんひ。
- ^ a b 楠瀬明子、Tokunaga, Kenji「180年前の漂着者たち」『羅府新報』2014年3月14日。2024年6月22日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉プラス『にっぽん音吉漂流記』 - コトバンク
- ^ 『映画撮影』第81号、日本映画撮影監督協会、1983年6月、52頁、doi:10.11501/7954647、国立国会図書館書誌ID:34735-d7954647。
- ^ 「話題作ハイライト/『ダブルベッド』『海嶺』『伊賀野カバ丸』『ステイン・アライブ』『アウトサイダー』」『映画情報』第48巻第9号(復刊373号)、国際情報社、1983年9月、doi:10.11501/2343795、国立国会図書館書誌ID:2016-d2343795。
- ^ 八森稔「『地平線』『海嶺』ルポ『キネマ旬報』第868号(通号1682)、キネマ旬報社、1983年9月、98-101頁、doi:10.11501/7905938、国立国会図書館書誌ID:4912-d7905938。
- ^ 小藤田千栄子「『海嶺』」『キネマ旬報』第874号(通号1688)、キネマ旬報社、1983年12月、155頁、doi:10.11501/7905944、国立国会図書館書誌ID:4912-d7905944。
- ^ 「日本映画紹介 『海嶺』、『生きてはみたけれど』、『女教師は二度犯される』、『ロリコンハウス・おしめりジュンコ』、『ケンちゃんちのお姉さん』」『キネマ旬報』第875号(通号1689)、キネマ旬報社、1983年12月、174-176頁、doi:10.11501/7905945、国立国会図書館書誌ID:4912-d7905945。
- ^ 竹村博「ただいま撮影中 海嶺」[28]、「『海嶺』」[29]、八森稔「『地平線』『海嶺』ルポ[30]、小藤田千栄子「『海嶺』」[31]、「日本映画紹介 『海嶺』」[32]。
- ^ 加藤季子「私が読んだ本 三浦綾子著『海嶺』」『愛育』第58巻第4号46-47頁(恩賜財団母子愛育会、1993年4月、doi:10.11501/2268402)
- ^
- “「JB Press」2020年7月9日付・柳原 三佳氏の記事で『海嶺』音吉のその後人生等が紹介されています”. 学芸ブログ【サイト記事紹介】. 国立国会図書館 (2020年7月14日). 2024年6月21日閲覧。
音吉(ねぶた参りの音吉)
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「前巷説百物語」の記事における「音吉(ねぶた参りの音吉)」の解説
神田の小間物問屋・睦美屋の婿養子。四十男。黙っていても女が寄ってくるほどの美男。毎年ねぶた流しの時期に奥州まで行き、江戸の小物を売りつけて地元の名物を買い付けに行く。その時についてきた田舎の娘たちを遊廓に売っているという。
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