パリ万国博覧会_(1867年)とは? わかりやすく解説

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パリ万国博覧会 (1867年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 06:23 UTC 版)

パリ万国博覧会 > パリ万国博覧会 (1867年)
イリュストレ紙

1867年のパリ万国博覧会(せんはっぴゃくろくじゅうななねんのパリばんこくはくらんかい, Exposition Universelle de Paris 1867, Expo 1867)は、1867年4月1日から10月31日までフランスの首都パリで開催された国際博覧会である。42か国が参加し、会期中1500万人が来場した。

このパリ万博は、日本が初めて参加した万国博覧会として有名である。また、ここで発表された水族館と電気にまつわる出展作品から、ジュール・ヴェルヌが『海底二万里』の着想を得たことでも知られる[1]

会場

パリで開催された国際博覧会では2回目となる。1864年のナポレオン3世勅令に基づいて計画され、パリ市内に119エーカー(48ヘクタール)、ビヤンクールに52エーカー(21ヘクタール)の土地が用意された。この土地はシャン・ド・マルス公園となって、これ以降のパリ万国博覧会の会場となり、1889年のパリ万国博覧会からエッフェル塔の建設が開始される。メインパビリオンは長さ1608フィート(490 m)、幅1247フィート(380 m)の端が丸まった長方形の形をしており、その中央に長さ545フィート(166m)、幅184フィート(56m)のドームがあり、庭園が併設されている。

来賓

日本の参加

日本からは、江戸幕府日本大君政府)に加え、薩摩藩薩摩琉球国太守政府)、佐賀藩肥前大守政府)[3]がそれぞれ別個に出展し[4]、使節団を派遣した。幕府は日本で統一した出品を画策したが断念し[5]、独自に使節団や勲章まで作った薩摩藩に抗議したが聞き入れられず、幕末の政争が如実に現れた万博となった。

江戸幕府

江戸幕府は、開成所高橋由一宮本三平らの油彩、北斎・国貞・芳幾・芳年らの浮世絵、銀象牙細工の小道具、青銅器・磁器、水晶細工などを出品した[6][7][8]ほか、 江戸・浅草の商人(清水卯三郎[9])が数寄屋造り茶屋をしつらえた。3人の柳橋芸者(おすみ、おかね、おさと)が独楽を回して遊んだり、煙管をふかしたりするだけの仕草が、物珍しさから、幕府や西南雄藩による公式展示以上の人気になったという[10]。また、薩摩藩が独自の勲章を作ったことに影響を受け、幕府もフランスで勲章外交を行うために独自の勲章(葵勲章)の制作を開始したが、間もなく幕府は倒れ幻となった[要出典]

フランスへの親善使節として、将軍徳川慶喜の弟で御三卿清水家当主の徳川昭武[11](民部大輔、当時15歳)を使節団長(名代)に、向山一履栗本鋤雲両外国奉行や保科正敬(保科俊太郎)歩兵頭並、昭武守役の山高石見守や昭武が清水家相続前から近侍攘夷派からなる水戸藩藩士、家老の海老名季昌横山常守会津藩藩士からなる総勢25名に派遣を命じた。使節団は親善のほか、昭武や青年らの留学が目的であり、留学生は追加を含めて帰国時には32名を数えた[12]。使節団の訪仏は、幕府内に親仏派を作りたいフランス公使レオン・ロッシュが熱心に幕府へ働きかけて決定され、ロッシュの部下の宣教師メルメ・カションが担当しレオン・デュリー在長崎フランス領事が同行した。一方で、帰省のため同船した英国公使館の通訳・案内係アレクサンダー・フォン・シーボルトは、イギリス政府の意向をもって親仏派崩しを画策した[12]

幕府派遣の使節団一行は、1867年2月15日フランス帝国郵船アルへー号で横浜を発ち、同年4月3日にマルセイユ到着[13]。使節団は滞仏中に万博へ出席したほか、フランス皇帝ナポレオン3世に謁見。観劇や競馬観戦、病院視察などを行い、昭武らは数名は同年9月4日より、スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスを訪問して国王らに謁見した。昭武や幕府派遣留学生は数年の留学を予定していたが、翌1868年1月に大政奉還の報に接したため、使節団は10月19日に離仏、12月16日横浜に帰国した[13]

この訪仏での見聞の記録を、栗本鋤雲は『暁窓追録』[14]に、渋沢栄一杉浦譲は『航西日記』[15]と題して、帰国後に出版した。

往路での徳川昭武付添役の面々

役職 氏名 生没年 1867年時年齢
(数え年)
備考
御勘定奉行格外国奉行 向山隼人正(一履) 1826-1897 42歳
御作事奉行格御小姓頭取 山高石見守(信離) 1842-1907 26歳
歩行奉行 保科俊太郎(正敬) 1842-1883 26歳
外国奉行支配組頭 田辺太一 1831-1915 37歳 公使館書記官
外国奉行支配調役 日々野清作
外国奉行支配調役 杉浦愛蔵(譲) 1835-1877 33歳
外国奉行支配調役並出役 生島孫太郎
御儒者次席翻訳方頭取 箕作貞一郎(麟祥) 1846-1897 22歳
通弁御用 山内六三郎(堤雲) 1838-1923 30歳
大御番格砲兵差図役頭取勤方 木村宗三 一橋家臣
御勘定格陸軍付調役 渋沢篤太夫(栄一) 1840-1931 28歳 一橋家臣
小姓頭取 菊池平八郎 1839-1890 29歳 水戸藩士
小姓頭取 井坂泉太郎 1835-1897 33歳 水戸藩士
奥詰 加治権三郎 1839-1871 29歳 水戸藩士
奥詰 皆川源吾 1836-1868 32歳 水戸藩士
奥詰 大井六郎左衛門 1834-1870 34歳 水戸藩士
奥詰 三輪端蔵 ?-1895 水戸藩士
奥詰 服部潤次郎 1833-1906 35歳 水戸藩士
奥詰医師 高松凌雲 1837-1916 31歳
大砲差図役勤方 山内文次郎(勝明) 1848-1912 20歳

[16]

薩摩藩

薩摩藩は、二度の訪日経験があり薩摩藩士のフランス留学を世話していたシャルル・ド・モンブラン伯爵の仲裁で、幕府と別個に展示館を設けた。展示館では、琉球の産物や薩摩焼漆器扇子煙草など100種類以上の産物を約400箱出品された[5]ほか、コンプラ瓶に詰めた状態で日本から運ばれた焼酎も出品された[要出典]。さらに、モンブラン伯爵の発案で日本初の勲章「薩摩琉球国勲章」を作成し、ナポレオン3世などフランスの高官に授与するなど、薩摩藩は幕府と別の独立国のように振舞った[5]

さらに、家老の岩下方平(岩下佐治右衛門)が全権大使(使節団長兼博覧会御用)として派遣され[5]、関連する史料が現存する[17]

佐賀藩

佐賀藩は、西洋文明の吸収と特産品の売込み・営業を目的に参加した。展示館では陶磁器(伊万里焼唐津焼など)や白蝋和紙など領内の特産品を多数出品し、会場で購入された陶磁器はセーブルにある国立陶芸美術館フランス語版に収蔵された[3]

さらに、佐野常民を団長に[18]藤山種廣ら5人の使節団を派遣したほか、イギリス滞在中の石丸安世もパリで使節団に合流した。万博会場で佐野は赤十字社の活動を知り、1877年(明治10年)の西南戦争で博愛社(後の日本赤十字社)を創設するきっかけになった[3]ほか、1873年ウィーン万国博覧会にも派遣され「博覧会男」の異名を得ることになった。また、佐野は蒸気船購入交渉の特命を受けており、オランダでスループ日進」の購入契約を締結した後、1868年に帰国した。

出品カタログ佐賀県立博物館に展示されているほか、国立陶芸美術館の収蔵品や使節団の作成資料などの未公開資料が万博から150年となる2017年(平成30年)に佐賀県立佐賀城本丸歴史館で展示された[3]

各国の展示の様子

脚注・出典

  1. ^ フランス語版wikipediaより、以下原文:Jules Verne s'est inspiré de l'aquarium géant présenté à l'Exposition et contenant plus de 800 poissons pour décrire le hublot du Nautilus (Jules Verne) dans Vingt Mille Lieues sous les mers.
  2. ^ 左から、ベルギーレオポルド2世プロイセンヴィルヘルム1世オーストリアフランツ・ヨーゼフ1世、ナポレオン3世、ロシアアレクサンドル2世エジプトイスマーイール・パシャ副王、イギリスウェールズ公アルバート・エドワード
  3. ^ a b c d “肥前さが幕末維新博覧会プレ特別展「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」”. 佐賀県立佐賀城本丸歴史館. (2017年8月). https://saga-museum.jp/sagajou/exhibition/limited/2017/08/001618.html 2024年9月14日閲覧。 
  4. ^ 国際博覧会 (METI/経済産業省)”. www.meti.go.jp. 2021年12月4日閲覧。
  5. ^ a b c d 歴史・美術センター黎明館学芸課 (2012年6月27日). “鹿児島県/パリ万博に出発”. 鹿児島県. https://www.pref.kagoshima.jp/ab23/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/paris.html 2024年9月14日閲覧。 
  6. ^ 高橋由一履歴 高橋源吉編
  7. ^ MUSEUM No.89,90
  8. ^ 内外博覧会総説 永山定富
  9. ^ 國雄行『博覧会と明治の日本』吉川弘文館、37頁。 
  10. ^ 読売新聞』2018年3月10日「編集手帳」(1面コラム)
  11. ^ 國雄行『博覧会と明治の日本』吉川弘文館、28頁。 
  12. ^ a b 石附実「幕末海外留学史稿(IV)天理大学『天理大学学報』1971年10月号
  13. ^ a b 関水信和「渋沢栄一における欧州滞在の影響―パリ万博(1867年)と洋行から学び実践したこと千葉商科大学『千葉商大論叢』第56巻第1号 、2018年7月
  14. ^ 成島柳北・栗本鋤雲『幕末維新パリ見聞記――成島柳北『航西日乗』 栗本鋤雲『暁窓追録』』岩波書店、2009年。 
  15. ^ 渋沢栄一・杉浦譲(大江志乃夫訳)『航西日記 パリ万国博見聞録 現代語訳』講談社、2024年。 
  16. ^ 役職名は『徳川昭武 万博殿様一代記』(須美裕、中央公論社 (中公新書)、1984年)p30-31より。
  17. ^ “パリ万博関連資料”. Satsuma1867. https://www.satsuma1867.org/resources 2024年9月14日閲覧。 
  18. ^ 國雄行『博覧会と明治の日本』吉川弘文館、29頁。 
  19. ^ 前列左から、アレクサンダー・フォン・シーボルト保科俊太郎山高石見守井坂泉太郎徳川昭武菊池平八郎向山隼人正田辺太一レオン・デュリー、後列左から、渋沢栄一山内文次郎高松凌雲、木村宗三、服部潤次郎、皆川源吾、加治権三郎、大井六郎左衛門、三輪端蔵、杉浦譲山内六三郎、生島孫太郎、日比野清作、箕作麟祥
  20. ^ フランスの古生物学者、ジャック・ブーシェ・ド・ペルテスフランス語版が1848年にアブヴィルで発掘した燧石トゥールーズ博物館蔵。
  21. ^ 世界一のピアノ「スタインウェイ」強さの本質 東洋経済、2017/10/24

関連項目

外部リンク


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