民部大輔一行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 07:35 UTC 版)
「パリ万国博覧会 (1867年)」の記事における「民部大輔一行」の解説
徳川昭武 徳川慶喜名代 向山一履 外国奉行(若年寄格)全権公使 保科正敬(保科俊太郎) 歩兵頭並 木村宗三 大御番格・砲兵差図役頭取勤方 - 一橋家臣で、出発前は京都で洋学塾を経営していた。フランスで砲兵学を学ぶ 栗本鋤雲 外国奉行 田辺太一 外国奉行支配組頭・公使館書記官 杉浦譲 外国奉行支配調役 渋沢栄一(渋沢篤太夫) 御勘定格・陸軍付調役 生島孫太郎 外国奉行支配調役並出役 日々野清作 外国奉行支配調役 杉浦愛蔵 外国奉行支配調役 高松凌雲 幕府・奥医師 山内堤雲(山内六三郎) 外国奉行支配通弁御用 山内文次郎 小十人格・砲兵差図役勤方 箕作麟祥(箕作貞一郎) 外国奉行支配翻訳御用頭取・御儒者次席 水戸藩 - 一同天狗党攘夷派 山高石見守 昭武守役・御小姓頭取 菊池平八郎 民部大輔殿小姓頭取 井坂泉太郎 民部大輔殿小姓頭取 服部潤次郎 皆川源吾 加治権三郎 大井六郎左衛門 三輪端蔵
※この「民部大輔一行」の解説は、「パリ万国博覧会 (1867年)」の解説の一部です。
「民部大輔一行」を含む「パリ万国博覧会 (1867年)」の記事については、「パリ万国博覧会 (1867年)」の概要を参照ください。
- 民部大輔一行のページへのリンク