奥医師とは? わかりやすく解説

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おく‐いし【奥医師】

読み方:おくいし

江戸幕府職名将軍奥向き人々診療あたった医者。奥医。


奥医師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 01:43 UTC 版)

奥医師(おくいし)とは、江戸幕府医官若年寄の支配に属し、に住んでいる将軍とその家族の診療をした。近習医師御近習医師御側医師とも呼ばれた。ほとんどが世襲であったが、諸大名の藩医や町医者から登用されることもあった(目見医師)。

概要

200俵高で、役料200俵を給された。西の丸付の奥医師もいた[1]。医業に優れた人が奥医師に選挙され、法印に叙したという[2]。内科は多紀氏、外科は桂川氏が世襲。

この他にも奥詰医師がいた[1]

奥医師の仕事

奥医師は1日おきに登城し[3]江戸城中奥の御座の間近くの「御医師の間」に、不寝番で詰める。将軍が朝食を済ませ、小姓に髪の手入れをさせている際に、将軍の左右から2人ずつ6人が計3回、脈を測った。その後、6人の医師は別室でそれぞれの診立てを教え合い、異常があるようなら腹診も行った。

ほかにも、御台所側室たちも昼食前に6、7回、定期健康診断を行い、二の丸や西の丸にいる将軍の子息たちの診察もした。

病人が出ると、奥医師は全員集められ、それぞれの診立てを告げて、治療法を決定する。治療方針が決まったら、主治医を決めて、昼夜の別なく診療を施す。この際に「典薬頭」の官職を帯びた奥医師の統括者は、自らは治療の手を下さず、ほかの医師たちにさまざまな指示を出すことになる。

奥医師が登場する作品

脚注

  1. ^ a b 古事類苑』より。
  2. ^ 『明良帯録』より。
  3. ^ 『古事類苑』では「毎日登城シテ」とある。

参考文献

関連項目

外部リンク



奥医師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:26 UTC 版)

大河内存真」の記事における「奥医師」の解説

文政元年1818年10月26日大河内重則婿養子として大河内家を継ぐことが決まり藤塚町佐治九郎借家移った12月12日評定所認可小普請医師となり、4月15日藩主徳川斉朝御目見し、9月16日大河内存真襲名した文政4年1821年8月1日、師浅井貞庵が邸内設置した静観堂講舎(後の医学館)において書生取締方を命じられた。文政12年1829年11月番医師進み天保元年1830年2月21日御薬園御用手伝兼ねた7月12日奥医師打込として前藩主斉朝の治療担当し天保2年1831年1月20日免じられた。天保7年1836年7月10日医学館世話役兼務した。 天保10年1839年3月23日江戸詰中の藩主徳川斉温急変したため、斉朝の命で江戸急行するも間に合わず4月3日帰国した8月14日奥医師打込として斉温室俊恭院担当した天保11年1840年10月2日俊恭院死去に伴い10月15日町在医師医業吟味方懸り転じた天保14年1843年6月医学館世話役解かれ、閏9月29日奥詰医師として帰国した藩主徳川斉荘担当し天保15年1844年11月8日には町在医師医業吟味方懸り解かれた。 弘化2年1845年7月斉荘が死去すると、幼年の新藩主徳川慶臧のため、弘化3年1846年2月26日小児科本業とし、閏5月22日御薬園御用手伝辞職した嘉永2年1849年8月15日奥医師として徳川斉朝匙役を勤めたが、嘉永3年1850年1月28日流注発症し3月30日死去した12月27日奥医師となり、嘉永4年1851年1月4日江戸上り徳川慶恕帰国同伴して3月22日帰着した嘉永5年1852年3月26日慶恕側室多満が懐妊し5月10日誕生御用命じられたが、病気のためこれを断った8月15日全快し誕生した栄姫療養携わったが、嘉永6年1853年6月1日夭折したその後、多満の寛之助出産側室由起の尭之助出産にも関わったが、いずれも夭折している。

※この「奥医師」の解説は、「大河内存真」の解説の一部です。
「奥医師」を含む「大河内存真」の記事については、「大河内存真」の概要を参照ください。

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