天保11年 (かのえね 庚子)
年(年号) | |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 |
●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 |
●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 |
●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 |
●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 |
●1853年 (嘉永6年) | ■黒船来航 |
●1855年 (安政2年) | ■安政江戸地震 |
●1858年 (安政5年) | ■安政の大獄 |
●1860年 (万延元年) | ■桜田門外の変 |
天保11年(1840年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 03:51 UTC 版)
「三方領知替え」の記事における「天保11年(1840年)」の解説
武蔵国川越藩主松平斉典を出羽国庄内へ、庄内藩主酒井忠器を越後国長岡へ、長岡藩主牧野忠雅を川越へ転封しようとしたもの。実現することはなかったが、数ある三方領知替えの中で最も有名である。 第11代将軍徳川家斉の実子・斉省を養子にとった川越藩主松平斉典が、実高が多く裕福な 庄内藩領地を狙って幕閣に働きかけたものだったが、庄内藩の士民を挙げた猛烈な抵抗にあい(天保義民事件)、翌年閏1月に家斉が没すると諸大名の間でもこの問題に対する不満が高まった。同年7月に12代将軍徳川家慶の「天意人望」に従うとする判断によって沙汰やみになった。
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