転封
転封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:44 UTC 版)
徳川家康は重臣からの進言により但馬一国の加増は実行しなかったものの、慶長5年(1600年)の論功行賞で丹後12万石から豊前国中津33万9,000石に国替のうえ加増した。豊後杵築6万石は、そのまま細川領とされたので39万9,000石の大名となった。豊前国では前領主である黒田長政によって年貢が持ち去られており、返還をめぐって筑前商人を抑留するなど関係がこじれている。慶長7年(1602年)より、小城であった小倉城を九州の要とすべく大規模改修に取り掛かる。なお、長政が移った筑前国の年貢も小早川秀秋によって持ち去られている。 その後中津城から完成した小倉城に藩庁を移し、小倉藩初代藩主となる。 また、幸隆を竜王城の城主として同じく弟の孝之を香春岳城の城主としてさらにまた重臣の松井康之を杵築城の城主として配し、領内の守りを固めた。
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