天保の改革とは?

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てんぽうの かいかく 【天保の改革】

江戸後期天保年間行われ幕府諸藩による改革狭義には1841年から43年にかけて、老中水野忠邦中心に行われ江戸幕府政治改革水野風俗粛正奢侈しやし禁止物価引き下げを図り、人返しの法、株仲間解散上知令などを発したが、諸大名町人農民反対にあって失脚した。諸藩においても藩債整理などによる財政改革専売制などが行われた。

天保の改革 (てんぽうのかいかく)


天保の改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/07 07:15 UTC 版)

天保の改革(てんぽうのかいかく)は、江戸時代天保年間(1830年 - 1843年)に行われた、幕政や諸藩の改革の総称である。享保の改革寛政の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つに数えられる。貨幣経済の発達に伴って逼迫した幕府財政の再興を目的とした。またこの時期には、諸でも藩政改革が行われた。




  1. ^ 水野忠邦(1794年 - 1851)は譜代大名で肥前国唐津藩主家に生まれるが、唐津藩は長崎の管轄を担当するため幕政参与を見込めず、自ら国替えを望み、側用人水野忠成の計らいもあって文化14(1817年)には遠江国浜松藩転封され、寺社奉行となる。その後は大坂城代・西丸老中と出世し、老中首座となる。
  2. ^ 鳥居耀蔵(1804年 - 1874年)は儒学者林述斎の子として生まれ、天保8年に目付となり、目付時代には蛮社の獄における詮議を行っている。水野に抜擢されて改革に携わるが、上知令においては反対派にまわり、水野失脚後にも政権に残ったが、水野が老中首座に返り咲くと罷免されている。
  3. ^ 上知は水野の失脚により中止されるが、幕領の一円支配化についてはその後も続けられ、関東取締出役の設置や組合村の結成などが行われている。
  4. ^ なお、水野は弘化元年に再び老中首座となっているが、後に罷免され、嫡子・忠精に家督を相続させた上で蟄居隠居。その後出羽国山形藩に転封されている。
  5. ^ 『エドノミクス 歴史と時代劇で今を知る』pp.255-256。


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