太田資愛とは? わかりやすく解説

太田資愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/26 13:39 UTC 版)

 
太田資愛
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 元文4年(1739年
死没 文化2年2月17日1805年3月17日
戒名 大隆院殿道一日敞大居士
墓所 静岡県三島市妙法華寺
官位 従四位下摂津守備中守侍従
幕府 江戸幕府 奏者番寺社奉行若年寄京都所司代老中
主君 徳川家治家斉
遠江掛川藩
氏族 太田氏
父母 父:太田資俊
兄弟 資愛板倉勝志正室、久留島通祐正室、稲垣長以継室、内藤頼尚正室ら
鏐姫牧野忠利の養女)
資武資順資言、正子、木下俊懋正室ら
テンプレートを表示

太田 資愛(おおた すけよし)は、江戸時代中期から後期にかけての大名老中遠江国掛川藩2代藩主。掛川藩太田家6代。官位従四位下摂津守備中守侍従

生涯

先代藩主・太田資俊の次男。

幕府では、奏者番寺社奉行若年寄京都所司代老中を歴任した。学者松崎慊堂を藩の顧問として登用する。

文化2年(1805年)2月17日、67歳で死去。跡を次男の資順が継いだ。

墓所は静岡県三島市玉沢の妙法華寺。戒名は大隆院殿道一日敞大居士。

年表

系譜

父母

正室

子女

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「太田資愛」の関連用語

太田資愛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



太田資愛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの太田資愛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS