太田資武_(掛川藩嫡子)とは? わかりやすく解説

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太田資武 (掛川藩嫡子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 08:00 UTC 版)

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太田資武
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦13年7月2日1763年8月10日
死没 天明4年8月25日1784年10月9日
改名 伴之助、新六郎(幼名)、資武
戒名 道因日縁徳浄院
官位 従五位下大和守、采女正
遠江掛川藩世嗣
氏族 太田氏
父母 太田資愛
兄弟 資武資順資言、正子、木下俊懋正室ら
松平定静
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太田 資武(おおた すけたけ)は、江戸時代中期の遠江国掛川藩の世嗣。官位従五位下大和守、采女正。

略歴

宝暦13年(1763年)、2代藩主・太田資愛の長男として誕生(『寛政重修諸家譜』では宝暦11年(1761年))。幼名は伴之助、新六郎。正室は松平定静の娘。

安永6年(1777年)に徳川家治に拝謁し叙任する。しかし、家督相続前の天明4年(1784年)に死去した。法名は道因日縁徳浄院。

代わって次弟・資順が嫡子となった。




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