屏風絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:59 UTC 版)
先述のように室町時代には水墨画や極彩色の屏風絵が多く描かれるようになった。さらに安土桃山時代から江戸時代にかけて、城郭には必ずといっていいほど屏風が置かれ、それによって屏風絵は芸術としてその地位を高めていった。その時代の有名な絵師としては、狩野永徳らが挙げられる。 日中の屏風絵は西欧に渡ったり、影響を与えたりした。戦国時代から江戸時代初期に行われた南蛮貿易を通じて海外に渡った日本の屏風絵は、ポルトガル語やスペイン語で「ビオンボ」(BIOMBO)と呼ばれた。作者は確定していないが、ノアの方舟伝説を日本風に描いた「大洪水図屏風」も制作された(メキシコのソウマヤ美術館所蔵)。また中国から西欧へ輸出された屏風は「コロマンデル屏風」と呼ばれ、西洋画を嵌め込んで使われたり、欧州やその植民地で屏風絵が制作されたりした。
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