こうぶ‐がったい【公武合体】
公武合体 (こうぶがったい)
公武合体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 19:53 UTC 版)
公武合体(こうぶがったい、旧字体: 公󠄁武合體)は、幕末(1850年代から1860年代)の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動をいう。公武合体策[注釈 1]、公武合体論、公武合体運動、公武一和(こうぶいちわ)とも呼ばれる。
注釈
- ^ 『社会科 中学生の歴史』(帝国書院。平成17年3月30日文部科学省検定済。教科書番号:46 帝国 歴史-713)p 144に「桜田門外の変ののち, 幕府は, 朝廷を利用して権威の回復をめざす公武合体策をうち出し, 孝明天皇の妹を14代将軍徳川家茂の夫人としました。」と記載され、『日本史B』(実教出版。高等学校地理歴史科用。平成14年1月25日発行。平成9年3月31日 文部科学省検定済。教科書番号:7実教 日B582)p 225に、「大老を暗殺された幕府は, 朝廷との関係を回復して反幕勢力をおさえるため, 朝廷と幕府の融和をめざす公武合体策をすすめた。」と記載されている。
- ^ 1858年(安政5年)頃、大老井伊直弼の腹心である彦根藩士長野義言と、同藩士宇津木景福との間の手紙に示された、朝廷統制策が起源と考えられている[2]。
- ^ 実際の婚儀は1862年(文久2年)。
- ^ 公式記録への記述にはなく証言は後年の浅野長勲のもののみ。詳しくは小御所会議を参照。
出典
公武合体
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こうした中、朝廷と結束することで幕府の権威低下を防ごうとする公武合体論が浮上する。老中・久世広周(関宿藩主)、安藤信正(磐城平藩主)らは将軍・徳川家茂の正室に孝明天皇の妹・和宮親子内親王を降嫁させる。
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