いたがき‐たいすけ【板垣退助】
板垣退助 いたがき たいすけ
高知生まれ。政治家。高知藩主山内豊信の側用人などをつとめるが、藩の公武合体路線と相容れず、討幕派と連携。戊辰戦争で活躍。明治維新後、高知藩の大参事となり、藩政改革を行う。明治4年(1871)廃藩置県を断行。参議となり、岩倉遣外使節団派遣後の留守政府をあずかるが、征韓論が入れられず6年(1873)に下野。翌年、ともに下野した後藤象二郎らと民撰議院設立建白書を政府に提出。愛国公党や立志社を設立、自由民権運動の先頭に立つ。14年(1881)自由党の総理に就任。後に第2次伊藤内閣、第1次大隈内閣の内相をつとめた。
キーワード | 政治家 |
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- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 板垣政法論 / 板垣退助述 ; 植木枝盛記 ; 五古周二編 自由楼, 明14.3 <YDM27656>
- 板垣君欧米漫遊録 / 清水益次郎編 清水益次郎, 明16 <YDM21824>
- 板垣君欧米漫遊日記 / 師岡国編 松井忠兵衛, 明16.6 <YDM21823>
- 板垣退助君演説 / 前野茂久次編 前野茂久次, 明16.9 <YDM27657>
- 通俗無上政法論 / 植木枝盛記 ; 和田稲積編 絵入自由出版社, 明16.12 <YDM28199>
- 東洋自由泰斗板垣退助君高談集 / 斉藤和助編 共立支社, 明18.5 <YDM27658>
- 板垣南海翁之意見 / 板垣退助述 郷敏儒, 明23.2 <YDM27659>
- 愛国論 / 板垣伯立案 ; 出射吾三郎編 吉田書房, 明23.3 <YDM27644>
- 板垣伯の意見 / 小河義郎編 小河義郎, 明23.3 <YDM27663>
- 板垣南海翁之意見 / 板垣退助述 ; 岩本米一郎編 岩本米一郎, 明23.5 <YDM27660>
- 板垣伯演説筆記 / 馬場秀次郎記 落合貫一郎, 明24.2 <YDM27662>
- 板垣伯意見書 / 板垣退助述 憲政党党報局, 明32.1 <YDM27661>
- 板垣伯対舎身居士政教問答 / 田中弘之(舎身居士)述 舎身庵, 明36.10 <YDM27996>
- 自由党史. [1], [2] / 宇田友猪, 和田三郎共編 五車楼, 1910 <YDM28615>
- 一代華族論 / 板垣退助著 社会政策社, 明45.6 <YDM39456>
- 選挙法改正意見 / 板垣退助著 〔出版者不明〕, 〔出版年不明〕 <YDM28671>
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
板垣退助
板垣退助
板垣退助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 13:55 UTC 版)
木戸と同じく同姓の漫画家が描く背中に鬼(般若)の顔がある人に改造された。それでも死の間際に『板垣死すとも自由は死せず!』と言って散る。
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板垣退助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 03:41 UTC 版)
参議。土佐派の代表。戊辰戦争での功労から政府に参画していたが、野戦軍司令官としては優れていても政治家としては無能に近く、西郷よりも早くから征韓論を唱え、征韓論撤回後は西郷と共に歩まんことを伝えるが、西郷の返事はつれないものだった。このため西郷以下薩摩の不平士族とは距離を置き、やがて自由民権運動にその半生を費やすこととなる。
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板垣退助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 09:14 UTC 版)
私は常に山中鹿之介なるものを愛するのであります。彼は尼子の忠臣でありまして、尼子の衰運回復すべからざる時に、身を致して顧みなかった男であります。
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