坂本直寛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 宗教家 > 宗教家 > 日本の牧師 > 坂本直寛の意味・解説 

坂本直寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 14:37 UTC 版)

坂本 直寛(さかもと なおひろ、嘉永6年10月5日1853年11月5日) - 明治44年(1911年9月6日)は、明治時代自由民権運動家、キリスト教牧師土佐藩郷士坂本家5代当主であり、坂本龍馬は叔父に当たる。兄・坂本直は龍馬の養嗣子になった。


注釈

  1. ^ 坂本は当時の信仰について、「信仰心は実に薄弱で、人前では祈祷ができず、家にいても心からの祈りをささげることができなかった。私が受洗したのは福音的に神を信じたのではなく理論的に信じ、社会的にキリスト教を受け入れたのである」と語っている。その後、義母の回心の経験を通して、深い悔い改めを知るようになり信仰に目覚める(守部 2010, pp. 48)
  2. ^ 石川島監獄の劣悪な環境にあって、極限状態で信仰が深められたと言われる。(守部 2010, pp. 51)
  3. ^ 高知の小作人を中心とした第一次移民112戸の住民が坂本と沢本に引率されて、高知を出発し、舟で網走まで行き、そこから100km以上を徒歩で移動しクンネップ原野に到着する。そこに仮小屋を建てて開拓を始めた。(守部 2010, pp. 51)
  4. ^ 年後1903年5月北光社本部で礼拝が開始され、1903年に北光社講義所を設置、橋本宗之進、西堀拙三伝道師らが活動した。1913年には野付牛町(現・北見市)に会堂を設置し、1922年正式に教会を建設した (五十嵐 2010, pp. 70)
  5. ^ 仙人もの囚人の前で、十字架にかかったキリストの愛を語る。それを聞いた看守も涙を流し、囚人も罪を悔い改めた。この現象は十勝市内のキリスト教会も飛び火した。(守部 2010, pp. 52)

出典

  1. ^ 守部 2010, p. 46
  2. ^ 守部 2010, p. 47
  3. ^ 合田 2004, p. 250-252
  4. ^ 『官報』第1699号、明治22年3月2日、p.18
  5. ^ 合田 2004, p. 255
  6. ^ a b 合田 2004, p. 256
  7. ^ a b c 合田 2004, p. 258
  8. ^ a b c 金田 1988, p. 739
  9. ^ 五十嵐 2011, p. 70
  10. ^ 五十嵐 2011, p. 57
  11. ^ a b 合田 2004, p. 259
  12. ^ 『坂本龍馬とその一族』土居晴夫著、昭和60年(1985年)。『坂本龍馬の系譜』土居晴夫著、新人物往来社、平成18年(2006年)。[1]


「坂本直寛」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂本直寛」の関連用語

坂本直寛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂本直寛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂本直寛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS