坂本直寛
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坂本 直寛(さかもと なおひろ、嘉永6年10月5日(1853年11月5日) - 明治44年(1911年)9月6日)は、明治時代の自由民権運動家、キリスト教牧師。土佐藩郷士坂本家5代当主であり、坂本龍馬は叔父に当たる。兄・坂本直は龍馬の養嗣子になった。
注釈
- ^ 坂本は当時の信仰について、「信仰心は実に薄弱で、人前では祈祷ができず、家にいても心からの祈りをささげることができなかった。私が受洗したのは福音的に神を信じたのではなく理論的に信じ、社会的にキリスト教を受け入れたのである」と語っている。その後、義母の回心の経験を通して、深い悔い改めを知るようになり信仰に目覚める(守部 2010, pp. 48)
- ^ 石川島監獄の劣悪な環境にあって、極限状態で信仰が深められたと言われる。(守部 2010, pp. 51)
- ^ 高知の小作人を中心とした第一次移民112戸の住民が坂本と沢本に引率されて、高知を出発し、舟で網走まで行き、そこから100km以上を徒歩で移動しクンネップ原野に到着する。そこに仮小屋を建てて開拓を始めた。(守部 2010, pp. 51)
- ^ 年後1903年5月北光社本部で礼拝が開始され、1903年に北光社講義所を設置、橋本宗之進、西堀拙三伝道師らが活動した。1913年には野付牛町(現・北見市)に会堂を設置し、1922年正式に教会を建設した (五十嵐 2010, pp. 70)
- ^ 仙人もの囚人の前で、十字架にかかったキリストの愛を語る。それを聞いた看守も涙を流し、囚人も罪を悔い改めた。この現象は十勝市内のキリスト教会も飛び火した。(守部 2010, pp. 52)
出典
- ^ 守部 2010, p. 46
- ^ 守部 2010, p. 47
- ^ 合田 2004, p. 250-252
- ^ 『官報』第1699号、明治22年3月2日、p.18
- ^ 合田 2004, p. 255
- ^ a b 合田 2004, p. 256
- ^ a b c 合田 2004, p. 258
- ^ a b c 金田 1988, p. 739
- ^ 五十嵐 2011, p. 70
- ^ 五十嵐 2011, p. 57
- ^ a b 合田 2004, p. 259
- ^ 『坂本龍馬とその一族』土居晴夫著、昭和60年(1985年)。『坂本龍馬の系譜』土居晴夫著、新人物往来社、平成18年(2006年)。[1]
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