江戸薩摩藩邸の焼討事件とは? わかりやすく解説

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江戸薩摩藩邸の焼討事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 09:07 UTC 版)

江戸薩摩藩邸の焼討事件(えどさつまはんていのやきうちじけん)は、薩摩藩江戸市中取締の庄内藩屯所を襲撃した為、幕末慶応3年12月25日1868年1月19日)に江戸の三田にある薩摩藩の江戸藩邸[注釈 1]が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃され、放火により焼失した事件のことである。この事件からの一連の流れが戊辰戦争のきっかけになった[1]


注釈

  1. ^ 薩摩藩三田屋敷(現在地・東京都港区芝5丁目7-1 NEC本社ビル附近)
  2. ^ ベルギーからの直輸入ではなく、米国南北戦争で使用され、戦争終結後に余剰となった武器類が日本へ輸入されたものと言われる。
  3. ^ 福沢諭吉は日本でしか通用しない教育勅語に変わる道徳の啓蒙団体としてユニテリアンを支持していたが、その思いは通じずに晩年にはむしろ裏切られたという[19]
  4. ^ 日本基督教会統一教会など17のキリスト教団体がユニテリアン主義者を擁している[20]

出典

  1. ^ 江戸薩摩藩邸焼討事件~挑発にのった幕府”. WEB歴史街道. 2024年1月19日閲覧。
  2. ^ テキスト / 薩摩藩邸焼討事件”. adeac.jp. 2024年1月19日閲覧。
  3. ^ 『幕末維新(第5編)』山内家史料刊行委員会編纂、672頁
  4. ^ a b 『板垣退助君伝 第1巻』栗原亮一、宇田友猪著、自由新聞社、1893年
  5. ^ 『土佐維新史料』書翰篇(1)
  6. ^ 『明治功臣録』明治功臣録刊行會編輯局、大正4年(1915年)
  7. ^ 『維新前後経歴談』
  8. ^ a b c 『栃木市の歴史』
  9. ^ a b c d 『相楽総三とその同志』
  10. ^ a b 『岩舟町の歴史』
  11. ^ 「復古記II 八六五」
  12. ^ 『板垣精神』一般社団法人板垣退助先生顕彰会
  13. ^ 『徳川慶喜公傳(4)』渋沢栄一著、267-268頁
  14. ^ a b 『板垣退助君戊辰戦略』一般社団法人板垣退助先生顕彰会再編復刻
  15. ^ a b 板垣退助『維新前後経歴談』(所収『維新史料編纂会講演速記録(1)』159頁、『板垣退助君戊辰戦略』他より。
  16. ^ 「後、奥羽戦争が終わり、私は東京にて西郷に面会した。その席に三条(実美)公もお居合わせで、其他の諸人も居た。平素沈黙の西郷は私を見ると忽ち口を開いた。『板垣さんは恐ろしき人よ。浪人を薩摩屋敷へ担ぎ込んで、屋敷の焼討ちに遭はした』と。私は直ぐに之に応じた。『それはむごい事よ。浪人の統御者(西郷)こそ如何にやと思ふに。然し好き幕明きではないか』西郷はそれを聞いて呵々笑ふた」(『無形伯旧夢談』田岡髪山筆録より)
  17. ^ 友愛労働歴史館「ユニテリアン・ミッションのスタートから130年、明治22年10月!」。2022年10月30日閲覧。
  18. ^ 中村敏 2009, p. 182.
  19. ^ 土屋博政 2002.
  20. ^ オダミツオ「出版・読書メモランダム」 (2017年). “古本夜話667 杉浦貞二郎と「基督教各派源流」”. hatenablog. 2021年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月22日閲覧。


「江戸薩摩藩邸の焼討事件」の続きの解説一覧

江戸薩摩藩邸の焼討事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:57 UTC 版)

伊牟田尚平」の記事における「江戸薩摩藩邸の焼討事件」の解説

慶応3年1867年)、西郷隆盛らは江戸幕府挑発し、武力討幕結び付ける目的で、御用盗呼ばれる不逞浪人組織糾合し、商家への強盗江戸市中江戸城二の丸放火するなどの破壊工作計画し益満休之助伊牟田江戸派遣した江戸で薩土討幕の密約に基づき土佐藩士乾退助庇護にあった中村勇吉相楽総三らが加わった中村半次郎桐野利秋)が遺した『京在日記』には慶応3年1867年10月3日に「益満休之助ほかに弓田正平伊牟田尚平)、今日より江戸差し立てられ候事、もっとも彼の表において義挙のつもり」と記されている。 慶応3年1867年10月14日幕府大政奉還行ったため、吉井友実は益満と伊牟田工作一時中止書状指示している。しかしながら集めた浪人たちを抑えることができず、御用盗江戸市中強盗などを行い江戸住民無関係な辻斬り便乗した強盗なども薩摩御用盗仕業噂しあうようになったこのため老中稲葉正邦勘定奉行小栗忠順薩摩藩邸にたむろしていた御用盗引き渡し要求するが、薩摩藩がこれを拒否したため、12月25日、江戸薩摩藩邸の焼討事件が起きることになる。この時に益満は捕縛されたが、伊牟田相楽逃れている。 この後相楽総三赤報隊組織する新政府によって偽官軍として捕縛され処刑されることになる。結果として間に合わなかったものの、伊牟田相楽救出のために、京都から下諏訪向かったことが史料残っている。

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江戸薩摩藩邸の焼討事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:58 UTC 版)

中村勇吉」の記事における「江戸薩摩藩邸の焼討事件」の解説

これらの状況下で幕臣達は「続出する騒乱黒幕薩摩藩」との疑い強くし、将軍留守を守る淀藩主の老中稲葉正邦はついに武力行使辞さない強硬手段決意する12月24日1868年1月18日)、庄内藩江戸邸の留守松平親懐権十郎)に「薩摩藩邸に賊徒引渡し求めた上で、従わなければ討ち入って召し捕らえよ」との命を下す。これらの命を受けて12月25日未明庄内藩加え上山藩鯖江藩岩槻藩三藩と、庄内藩支藩である出羽松山藩薩摩藩三田屋敷包囲交渉役の庄内藩士・安倍藤蔵薩摩藩邸を単身訪問藩邸留守役の篠崎彦十郎呼び中村らの浪士武装解除した上で一人残らず引き渡すよう通告したが、その場篠崎即時引き渡し拒否安倍指示によって、幕府方薩摩藩討入り決行篠崎庄内藩兵に突き殺される。さらに包囲する庄内藩兵たちも砲撃始め同時に西門を除く三方から薩摩藩邸に討ち入り開始迎え撃つ薩摩藩側も応戦するが、多勢に無勢であり戦闘開始から3時間後、旧幕府側の砲撃浪士らの放火によって薩摩藩邸はいたるところ延焼し、もはや踏みとどまれ状況ではなかった。当初より脱出指示されていた中村浪士達は、火災紛れて藩邸飛び出し二十数名一組となって逃走。(江戸薩摩藩邸の焼討事件)

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江戸薩摩藩邸の焼討事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)

鳥羽・伏見の戦い」の記事における「江戸薩摩藩邸の焼討事件」の解説

12月23日夜、薩摩藩支藩佐土原藩士の一隊三田庄内藩屯所銃撃し、詰め合いの者を殺傷した。さらに同日江戸城二の丸附近炎上し、これらの工作活動堪りかねた江戸幕府薩摩藩上屋敷浪人処分決定した25日旧幕府薩摩藩浪人たちの引き渡し求めた薩摩側が拒絶したため、庄内藩らによる江戸薩摩藩邸の焼討事件が勃発した27日(1868年1月21日)、薩摩長州土佐安芸四藩が、天皇観閲の下、京都御所建春門前で軍事演習披露。[要出典]

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